1988年5月17日、米子駅前バスターミナルの19時30分。同じ時刻の東京・品川ホテルパシフィック東京の3階バス乗場。
さらにそれから遅れること約1時間後、鳥取駅前バスターミナル2番乗場と、前述の品川ホテルパシフィック東京の3階バス乗場で、当時としては前代未聞の日本最長高速バス「キャメル号」の開業式が、大勢の人に見守られる中、行なわれた。
それぞれ定刻に、米子~東京線は794.4km、所要時間11時間30分。鳥取~東京線は720.6km、所要時間10時間30分先の目的地を目指して走り出した。
(記事の内容は、2021年7月現在のものです)
執筆・写真/太田博之 参考文献/日ノ丸自動車八十年史
※2021年7月発売《バスマガジンvol.108》『キャメル号33年の変遷』より
■ラクダの様に気持ちはゆったりみんな仲良く楽しい旅を
この路線を運行するのは鳥取側が日ノ丸自動車と日本交通、東京側が京浜急行電鉄(現京浜急行バス)の3社、そしてこの「キャメル号」専用車として用意された車両は全8両。
日ノ丸自動車が4両(鳥取本社に2両、米子支店2両)日本交通が2両(鳥取営業所と米子営業所に各1両)、京浜急行電鉄が羽田観光センターに2両用意された。
「キャメル」号の愛称の由来は、当時の報道資料によると2こぶラクダの英語名で、高速バスではあるものの米子線は落合インターまで、鳥取線は佐用インターまで一般国道を走行するため、長時間乗車となることから、ラクダの様に気持ちはゆったり、みんな仲良く楽しい旅をして頂こうというマラソンバス的な発想。
そして、鳥取県の代表的な観光地「鳥取大砂丘」、『月の砂漠』のロマンチックな旅、シルクロードを遥かに遠く旅する隊商の群れ、といったイメージを総合したものだ。
車両の仕様及び車内サービスの内容については、配置する車両もその輸送の性格上、旅客の快適な居住性を最大限に追及して、スーパーハイデッカー車を3列シートの29人乗りとし、現在では禁煙が常識となっているが、当時としては初登場の禁煙席とレディースシートも用意された。
車両装備もトイレ、テレビ、ビデオ、ボトルクーラー、100円硬貨で使用できる自動車電話(のちにカード式に変更)、車内BGM、日本初の装備品としてくび元までの巾と長さのひざ掛け毛布、マルチステレオ(6チャンネル)、レンタル傘を備えていた。
シートには寒冷期の対策として熱線ヒーターが内蔵されており、背もたれが138度まで倒れるリクライニングシート機能も装備していた。もちろん、おしぼりやお茶、コーヒーなどドリンクのサービスもあった。
また、乗客が就寝するまでに時間があったため、キャメル名画アワーと称して映画が放映されていたのだ。
■車両のデザインは3パターン後の高速バスにも残された
車両のデザインは3種類が用意された。当時はキャメルのネーミングからくる神秘的な月光、砂丘をファンタジックに表現したメインデザインのBデザインは、現在は日ノ丸自動車の高速バスのカラーに。
また爽やかな風を3色の色で表したAデザインは、現在は京浜急行バスの長距離高速路線の専用カラーとなっている。そして鳥取県の鳥をファンタジックに表したCデザインが、3つ目のものとなる。
Aデザインは日ノ丸自動車と京浜急行電鉄に各1両、メインとなるBデザインは日ノ丸自動車に2両、日本交通と京浜急行電鉄に各1両、Cのデザインは日ノ丸自動車と日本交通に各1両在籍した。
日ノ丸自動車は日野自動車を主力車種メーカーにしていたため、今日まで日野自動車を多く使用している。
日本交通は当時、三菱ふそうが主力車両だったので三菱ふそうを採用していたが、2000年から日野自動車に変更した。
京浜急行電鉄は幹事会社の日ノ丸自動車に合わせて日野自動車を採用したが、のち、夜行高速車両全車両が三菱ふそうに統一。
そしてふたたび夜行高速車両全車両が2003年から日野自動車となり、キャメル号の受け持ちが観光センターから横浜の新子安営業所の受持ちになってからは、日野自動車製車両での運用になっている。
キャメル号がすぐに全国的に有名な路線となり、当時マスコミなどで多く取り上げられたが、2021年3月16日、惜しまれながらも運行を終了した。
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