北海道、オホーツク海沿岸に位置する紋別地方の鉄道路線は、沿線人口減少や国鉄の経営悪化に伴い、1980年代に廃止が相次ぎ、1985(昭和60)年の興浜南線・渚滑線、1989(平成元)年の名寄本線廃止を以て、この地域から鉄路が消えた。
北紋バスはこれらの代替輸送機関として域内・域外へのアクセスを担っている。一方それ以前からの自主運行路線は縮小が続き、現在までに廃止転換バス運行事業が路線バス事業の中心となっている。
(記事の内容は、2025年9月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2025年9月発売《バスマガジンvol.130》『平成初期のバスを振り返る』より
■かつては東急グループに属し、三菱製車両が中心に採用されてきた
北紋バスは、1965(昭和40)年に東京急行電鉄(現・東急)が、当時筆頭株主であった北見バス(現・北海道北見バス)から買収したことによって東急グループの傘下となった。これによって宗谷バスとの共同運行をはじめ、オホーツク海沿岸の観光ルート開発に寄与した。
東急電鉄からは中古車両の譲渡も行われ、多くの貸切バス車両が転入した。
貸切バスには東急グループ共通のマーキュリーカラーが採用されたが、東北海道貸切バス事業協同組合にも加盟し、同組合共通のいわゆるバスセンターカラーも多く在籍した。なお、2001(平成13)年には東急グループの再編に伴い傘下を離れた。
一方路線バス車両は東急グループ傘下だった時代も自社カラーを堅持したが、1988(昭和63)年頃から、ピンストライプを省略した若干シンプルな塗装に変更された。
現在もこれらのカラーが採用されているものの、高速・貸切バスには新たな自社独自塗装も採用されるようになった。
■長大な名寄本線のバス転換時には三菱エアロバスを投入
かつては長距離郊外線用にトップドア車、市内線用に前中扉車が投入されてきたが、国鉄路線の廃止転換バスは郊外路線であっても前中扉が標準仕様とされ、以降踏襲されている。
約140kmに及ぶ長大な名寄本線のバス転換にあたっては長距離快速便の運行が計画されたことから、三菱エアロバス・ハイデッカも投入された。
なお、同線の転換バスについてはその後共同運行する名士バス、北海道北見バスと運行区間の調整が行われ、現在は長距離運用が消滅し、名寄〜遠軽間の全線を直通する運用も廃止された。
北見へは転換バス運行以前から自主運行による急行バスが運行され、転換バスと合わせて遠軽方面は一時期2系統が運行されていたが、現在は統合されている。
車両メーカーは、一般路線車には専ら三菱製が投入されてきたが、中古貸切車の一部や紋別市から受託運行していた福祉バスには少数ながら日野製も在籍した。貸切車では東急から転入した3軸スーパーハイデッカなど特徴的な車両も見られた。
紋別市周辺はご多分に漏れず人口減少に歯止めがかからず、バス運転士も不足していると聞く。いずれは鉄道路線転換バスも運行継続の是非が問われる日が来るだろう。
しかし鉄道が消えたこの地域おいては、域外・域内を結ぶ唯一の公共交通であり、様々な方策で支えられることを期待したい。
【画像ギャラリー】かつてはオホーツク観光路線の開発も!! 廃止された鉄道に代わって地域住民の足となった北紋バスの平成初期(10枚)画像ギャラリー












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