最後部まで3列シートで乗客定員28名。さらに袋型の毛布の採用など、 当時の近鉄夜行バスに基本形だった 【高速バスアーカイブ第10弾】

 近鉄の夜行バスには、1988年8月、大阪から熊本へのサンライズ号に始まり、次いで年末には長崎便オランダ号。そして3番目には関東に89年横浜便ブルーライト号。そして今回紹介する埼玉便サテライト号があった。

執筆/写真:石川正臣(バスマガジンvol.87より)


最後列まで3列のゆとりあるシートはこのときに始まった

近畿日本鉄道のサテライト号

 近鉄夜行バス登場後の2年間で12の夜行路線が次々に開業して路線ごとにすべて車体デザインが異なったこともあって、見ても乗っても楽しかった。中には相手会社と同一のデザインの車両もあり、路線の共通性の印象は強かった。

 乗客定員は3列シートの一般的な29名ではなく28名。最後部まで3列というのはこの近鉄が最初だった。いまでももちろん、このシート配列は変わっていない。座席はフットレストが前席脇にあり、備え付けの毛布は袋型でその中に足を入れて使用する形になっていた。

相手会社は国際興業だ

 この配慮で前席の人に不快感はなかった。使い方は車内放送でも案内・説明されていた。この車内放送やパンフレットも2社共通で、これらも当時の近鉄夜行バスにおける共通性が強く感じることができた。

 埼玉の起点は国際興業大宮営業所、静かな住宅街にあり、家族が見送る姿もしばしば見られた。1日の仕事を終え、路線バスが入庫する時刻。反対にこちらは出庫して大宮駅へ。正面ロータリー手前に乗り場があり、並んでいた乗客たちが乗り込み始めてにわから活気づく。

夜行バスが増え続けていた1997年に運行取りやめとなった

当時の近鉄夜行高速の車内。今も昔も最後部まで3列シートだ

 いまのように夜行バスが数多くあったわけでなく、夜の繁華街に大阪の行き先文字はとても目立った姿だった。国道を南下して浦和駅へ。当時の浦和駅は埼玉県県庁所在地で、大宮同様活気があった。

 狭い駅前乗り場からさらに車内へ乗り込んできた。次なる乗車地は川口駅。東京都と近接しているうえ、人口も当時は埼玉県トップクラスだった。かなり多くの人が乗車し、乗車はここで完了となり車内は消灯タイムだ。

近鉄夜行の当時の貸切と同じ全路線共通車両カラー

 静まり返った車内、バスは荒川渡って東京都内へと向かい、首都高速に入って東京を抜けて東名高速へ。多くの東京発の夜行便と同じくひたすら西へと快走する。

 夜が明けてくると上本町を経て、阿部野橋駅に到着。東京発などの関東勢、そして九州勢も次々と到着する、朝の到着ラッシュがこのころから始まってきた。

 夜行開業から数年後に路線整理のなかサテライト号は1997年に運行が取りやめとなった。99年には組織は近鉄バスとなり、当時のホームページには今後さらに夜行を拡充するメッセージが流れ、地元大阪ミナミだけでなく、キタの中核梅田、京都、そして一部神戸にも停車するようにまでなった。

阿部野橋に早朝到着した近鉄夜行高速バス

 ほかにも廃止路線はあったが、いまでは20路線近くのの夜行便が、東北から九州まで、需要の多い路線は2階建てバスによる運行がなされ各地で近鉄マークの高速バスを見ることができる。

・データ
『サテライト号』近畿日本鉄道株式会社(現・近鉄バス株式会社)
埼玉(大宮、浦和、川口)〜大阪◎相手事業者:国際興業株式会社