1980年代ぐらいまで、全国には限られたエリアまたは区間に限って乗合バスを運行していた事業者が多く存在した。
その後の規制緩和によって、そうしたケースはある程度増えるのだが、かつてのローカル事業者は、その規模感ゆえに経営的には厳しさもあり、もともと資本関係にあった隣接事業者との統合や、乗合事業の廃止などによって、1990年代以降は消えゆくこととなった。
(記事の内容は、2025年7月現在のものです)
執筆・写真/鈴木文彦(交通ジャーナリスト)
※2025年7月発売《バスマガジンvol.129》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■大手グループ会社の再編統合
【写真1】は茨城県土浦市とその北東部隣接地域で乗合バスを運行していた日本観光バスである。
この写真では、そのボディカラーや車種からは片鱗も伺えないが、1980年の撮影時点で、この会社は関東鉄道の関連会社であった。
日本観光バスは戦後、貸切バスと土浦~三村~石岡間、土浦~出島間、神立~出島間などの路線バスを運行していたが、1965年にまだ統合して成立したばかりの関東鉄道が経営参加した。
しばらくこのオリジナルカラーで運行されていたが、やがて関東鉄道のカラーに変更、1999年に関鉄観光バスに統合されて日本観光バスの名は消滅した。
【写真2】は富山市とその周辺を運行していた富山観光バスである。
1953年に富山観光乗合自動車として事業を開始し、富山市内の乗合バスと貸切バスを営業した。のちに富山観光バスと改称、1960年代に富山地方鉄道の傘下となった。
その後も独自のカラーで運行されるが、写真の車両(日産ディーゼルU20L)の仕様を見ていただくと、同時期の富山地方鉄道のバスとほぼ同じであることがわかる。2012年に富山地方鉄道の分社会社の富山地鉄中央バスと合併し、富山地鉄北斗バスとなったことにより、富山観光バスとしてはピリオドを打った。
【写真3】は徳島西部交通の乗合バスである。
徳島西部交通は戦時統合で成立した事業者で、その時点では広域に乗合バスを運行していたが、1957年に四国交通など4社が分離独立し、吉野川中流地域の事業者となったのち、高松琴平電鉄の傘下となった。
写真を見ていただくと、かつての高松琴平電鉄のカラーのイニシャルのみ変えたデザインであることがわかる。
その後路線は縮小の一途をたどり、最終的に穴吹~高松間のみを運行、それも2012年4月には休止となって、以後は貸切バス専業となった。2018年8月末でことでんバスに吸収合併となり、会社は消滅している。
【写真4】は、和歌山県南部で貸切バスと太地町内の路線バスを運行していた南紀開発である。
もともと近鉄の関連会社の吉野熊野観光自動車として1958年に貸切バスを開始し、1963年に乗合バスを開業した。
1973年に土地開発会社を合併して南紀開発と改称したが、近鉄グループの再編の中で、バス事業は1988年に奈良交通に譲渡され、写真のカラーもその後消滅した。
【写真5】は伊豆半島南端で営業した伊豆下田バスである。
1928年に昭和自動車の名で創業し、下田市を中心に運行、1965年に伊豆箱根鉄道傘下に入り、翌年社名を伊豆下田バスとした。しかしエリア的にも非効率だったこともあり、2006年に路線は東海自動車に移管し、会社を解散している。

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