過去の写真を眺めていると、「そういえば昔はこんな仕様のバスが結構あったよなぁ」と思うことがある。そんな仕様を採り上げてみたい。
今回は、1960年代ころの観光バスにときどき見られた「天窓」と、1970年代ぐらいまで各地で結構見られたフロント窓上の「ヒサシ」。バスボディのデザインやつくりが変わっていったため、1980年代以降はほとんど見られなくなった。
(記事の内容は、2025年3月現在のものです)
執筆・写真/鈴木文彦(交通ジャーナリスト)
※2025年3月発売《バスマガジンvol.128》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■天窓つきの観光バスが流行
1960年代の「のりもの」の絵本には、たいてい観光バスのページがあって、そこに描かれている観光バスのルーフ部の前後には、天窓が並んでいることが多かった。
天窓の左右の長さは上下昇降式である客席窓とほぼ同じで、いわゆる“バス窓”の上にもう一つ同じような窓が並んでいるようなイメージ、または引き違い式の“メトロ窓”の上に窓枠一つに対して2つの天窓が並ぶイメージだった。
わざわざ展望のための窓を装備した当時としては、最もデラックスな観光バスの象徴ともいえるものだった。
【写真1】は十勝バスが1986年に、スクールバスとして残っていた古い天窓つき観光バスを、当時池田町のワイン城が観光スポットとして注目を集めていたため、定期観光タイプの路線バスとして外装を一新して復活させたもの。
「ブルーグラス号」と名付けて根室本線池田駅からワイン城とその周辺を周遊していた。1966年式の日野 RB10Pトップドア車で、導入当初は貸切バスとして活躍、のちにワンマン化して路線バスやスクールバスとして使用された。【写真1】では新しいカラーになって天窓の存在がより鮮明になっている。
【写真2】は「ブルーグラス号」となったRB10Pの車内である。ルーフの肩の部分が素通しのガラスになっているため、眺望がよく、車内はかなり明るい。
【写真3】は「ブルーグラス号」の同僚で、十勝バスのスクールバスとして使用されていた同じ日野 RB10Pで、同じように天窓がついた観光バス当時のままで使用されていた。「ブルーグラス号」が帝国ボディだったのに対し、こちらは金産ボディを架装している。
天窓つきは北海道で特によく見られる存在だったが、これは名勝の層雲峡で高くそびえる断崖絶壁を車内から展望してもらうためとの説が有力である。
【写真4】は夕張鉄道が観光バスとして導入した日産ディーゼル 4RA104(富士重工ボディ)で、メトロ窓の観光ボディに天窓がついた。路線バスに転用してからの写真だが、天窓はそのままだった。
北海道以外では、富士山を展望する目的の富士急行の天窓車などを除くと、特定の目的というよりは、眺望を重視したワンランク上の仕様という感覚だった。
【写真5】は、はとバスが都内定期観光に導入したいすゞ BU20KPだが、この姿も絵本などには登場したものだ。
ルーフの肩の部分にルーフのカーブに合わせた曲面ガラスの窓をつけるというのは、それなりにコストもかかっただろう。観光バス全体の中で多勢になることはなく、バスボディがスケルトンタイプに代わるとともに、その後いくつかわざわざ特注したケース以外は姿を消していくこととなった。
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