最北の中核市、旭川に拠点を置く旭川電気軌道は、かつて旭川市内で軌道事業(1973年全廃)を営んでおり、現在も社名にその名残がある。
厳しい気象条件の地域ながら、早期にノンステップバスの普及を図るなど、意欲的な取り組みも多く見られる。
今回は、冷房化の推進や低床化を急速に進めていた頃の旭川電気軌道の様子を紹介しよう。
執筆/写真:石鎚 翼(バスマガジンvol.100より)
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一般路線バスのブラッシュアップに傾注しサービス改善を進めた平成初期
平成初期のバス事業は、全国的に昭和後期から続いた輸送人員の低下傾向に歯止めがかからず、2005年ころまで長期低落傾向が続いた。
そのため、多くの事業者で路線廃止に加え、分社化等の経営合理化策が進められる一方、急成長を遂げていた高速バス事業への積極的な進出が見られた。
しかし、旭川電気軌道のこの時代の事業展開は、これらの趨勢とは対照的な部分が見られる。
全国でブームとなった高速バス事業への進出は行われず(後年、2018年になって北都交通と共同で運行を開始)、ノンステップバスの導入や、首都圏からの中古車による冷房化の急速な推進、連節バスによる通学路線の輸送力強化、クレジットカードを利用したバス乗車システムの導入など、一般路線バスのブラッシュアップに経営資源を傾注した。
道内でも、多くの事業者が高速バス路線を次々に開設する中、独特な経営スタイルであったと言えよう。ただし、1999年には春光営業所管内の一般路線と貸切バスの一部を「あさでん」として分社化した。
なお、これはその後2007年には再び合併し、一社体制に戻っている。
車両は現在国内4メーカーが在籍するが、平成初期はいすゞを除く3社から導入しており、一般路線バスは良好な道路事情を反映して長尺車が好んで採用された。