平成初期のバスを振り返るこの企画、懐かしいカラーリングやデザインのバスをご紹介する。今回は当時モノコック車王国と呼ばれた高知県のバスをご取り上げる。
現在、高知県のバス事業はほぼ全域を「とさでん交通」が担っているが、かつては路面電車も営む土佐電気鉄道と、バス専業の高知県交通の2社が存在し、県内に路線網を展開していた。
共に経営悪化に伴い、公的支援を得て合併したが、今回は統合によってその商号が消えた土佐電気鉄道を紹介しよう。平成初期の一般路線バス用車両は、多くのモノコック車が現役だった。
執筆/写真■石鎚翼(バスマガジンvol.104より)
現在は高知県交通と合併の上「とさでん交通」として再出発を果たす
土佐電鉄の一般路線バスは高知市・南国市を中心とするが、かつては室戸、大栃と言った郊外長距離路線も存在し、室戸方面には急行バスも設定されていた。2001(平成13)年には土佐電ドリームサービスを設立し、バス路線の一部移管を進めたが、14(平成26)年にはとさでん交通の設立に伴い役割を終えて清算された。
路面電車事業では、外国製電車を輸入し、保存運行していたことでも知られている。一方、高速バス事業も高知県交通と共に積極的に展開し、東京・大阪と言った長距離路線の他、高速道路網拡大に従って、1990~2000年代に四国島内路線や中国地方へも多くの路線を開設した。
当時、多くのモノコックバスが在籍していたことでも知られ、平成初期の一般路線用大型車はほとんどの車両がモノコック車であった。この当時は中古バスの導入は限定的で、古参車が大切に使用されていた。
一般路線車は三菱製、日野製が導入されており空港連絡バスは主に貸切格下げ車によって運行されていた。経年車が目立つ一般路線車に対し、高速バス用車両はスーパーハイデッカーの新車が導入され、塗装も新たなデザインが採用されるなど、高速バス事業に対する意気込みが感じられた。
一般路線車もハイバックシートでビニール製のシートカバーが付き、大型車はエアサスが標準であったため、長時間の乗車でも快適であった。また、出力の選択が可能なシリーズの場合は、高出力車が主に選択され、三菱ではMR系ではなくB8系が、日野ではRE系よりRC系を好んで採用していた。
なお、昭和60年代以降は自社発注の大型路線バス車両はほとんど導入されず、新車は基本的に中型車とされた。路線バスの乗客減が顕著となった時代で、通学需要等によって大型車が必要な場合は、中古バスが導入された。
モノコックボディの古参車は徐々に新車中型バスや関西圏からの中古バスによって置き換えが進み、一部は土佐電ドリームサービスにも移籍しながら、2000年代初期にかけて活躍をつづけた。
その後ほどなく、高知県交通と共に債務超過状態に陥ったことから、長年の懸案であった高知県内バス事業の統合と、とさでん交通の誕生へとつながっていくこととなる。