1970年代、四国を海沿いに一周した。現代に比べて快適ではなかったが、痛快な旅ができた。そして都市間バスの冷房が効いた車内は旅の醍醐味に溢れていた。
(記事の内容は、2025年12月現在のものです)
執筆・写真/谷川一巳
※2025年12月発売《バスマガジンvol.131》『バスにまつわる愉快だけどマジな話』より
■「バスに任せとけ」の頼もしい存在
バスを回想する旅、今回は1970年代、学生時代に訪ねた四国の旅を思い起こしてみたい。
宿泊はユースホステルを利用し、学校のユースホステル研究会所属の友人と現地で会う約束をしての旅だった。地を這うような旅で、東京から国鉄バス「ドリーム号」で大阪へ、さらにフェリーで四国入りした(四国への橋は未開通)。
鉄道をメインに四国を周るはずだったが、結果的には多くのバスに乗車できたのである。
当時は高松の路線バスは高松琴平電鉄(現在の琴電バス)のほかに高松バスも運行していて、2社は同じデザインの色違いという全国でも珍しい形態だった。
四国に自動車道はなかったが、高松~徳島間は大川バスと徳島バスの「高徳特急」が行き交い、地方都市間バスのパイオニア的存在だった。
鉄道だけでは四国を一周できないが、バスが補完していて、現在より公共交通を利用する旅行者はずっと多かった。
徳島県南部の牟岐からは県境を越えてやってきた高知県交通の特急バスで室戸岬へ向かったが、鉄道のない地域は「ここから先はバスに任せとけ」と言わんばかりの頼もしい存在だった。
■日本最後のボンネット路線バスに乗車
四国の山間部にある「かずら橋」へは、四国交通のボンネットバスで向かった。
「レトロなバスを保存」というわけではなく、当時、日本最後のボンネットバスの一般路線ではなかったかと記憶している。ボンネットバスがノスタルジックな存在に扱われるようになったのは、その後である。
向かった「かずら橋」は、前日までの大雨で濁流となった川に架かるつり橋だった。
なぜ大雨を話題にしたかというと、その後、高知県交通の路線バスに乗って足摺岬などを周ったが、途中、大雨で土砂崩れの道に遭遇してしまった。
ところが、乗客が不安そうに窓から顔を出す中、運転手は手慣れた動作でスコップを持って土砂をかき分け、バスは何もなかったように運行を続けた。当時の四国では大雨が降ると、ちょっとした土砂崩れは珍しくなかったようである。
松山では奥道後観光の通称「オバQ」と呼ばれるレトロなスタイルのバスに乗車、松山~高知間の国鉄バス「なんごく号」にも乗車した。自動車道がないので愛媛県と高知県を山の中を通って結ぶ都市間路線であった。
バス旅が痛快だった頃が実に懐かしいのである。
【画像ギャラリー】土砂崩れもたくましく乗り越える!? 道のり自体が楽しめた1970年代の四国のバス旅(11枚)画像ギャラリー














コメント
コメントの使い方