多様な仕様のバスが活躍した平成初期のリーダー的存在
●いすゞ P-LV219S

日野 K-RD301

全国的にも採用は多くなかったが、日野のショート大型車でトップドア仕様で導入された。市内路線、郊外路線ともに原則前乗り前降り方式を採用する。非冷房車であり、平成初期にはこうした大型車から優先的に首都圏からの中古バスへの置き換えが行われた
●日野 K-RJ172AA

日野のスケルトン中型バス「レインボー」の初期モデルで、当時はすでに大型方向幕が標準仕様であったものの、小型幕で導入された車両。トップドア・非冷房車である。昭和終盤から、自社発注車は中型バスの導入が目立ち、基本的に大型路線車の新車投入は見送られていた
●日野 K-RV762P

日野の標準的な観光バスシリーズRV系のフルデッカー車で、貸切バスからの格下げ。行先表示器はフロントガラスの内側に追設されている。こうした車両が一般路線にも使用される機会も多かた。また、平成初期にはヨーデル号などの高速バス続行便にも使用された
●三菱ふそう P-MP118M

老朽化した非冷房大型一般路線車の置き換えのため投入された中古バス。画像は神奈川中央交通の中古バスで、運賃支払い方式を示す前面の小窓が塗りつぶされている。中ドアはそのまま存置されているが、閉鎖され通常は開閉しない。側面方向幕もそのまま残されているが、行先は前ドア脇に表示板を掲出している
●三菱ふそう MS512N

貸切格下車両で、呉羽製車体を架装。導入された1977(昭和52)年当時は、まだB8系も発売されていたが、高出力直噴エンジンのMS系を導入した。後年、スケルトン車やハイデッカー車が貸切車の中心となると、早期に格下げが進み、路線バスに転用された。これもグリル部の行燈を維持し、フロントガラス内側に行先表示器を設置しているが、貸切兼用での使用を考慮したものとも考えられる
●三菱ふそうP-MS725S

1987(昭和62)年に「ノクターン」用に投入された3列夜行仕様の三菱スーパーエアロで、専用カラーを採用した。平成初期の好景気時は平日でも最低4~5台、お盆や正月期には40台を超える続行便が出されることがあった。一躍弘南バスの経営の柱に成長していった路線で、五所川原・横浜への延長や、スーパーシートサービスの提供(現在は廃止)も行われた
●三菱ふそうU-MS726S

貸切バス用のハイデッカー車で、新呉羽自工製ボディを架装した、エアロバスKとも呼ばれるタイプ。エアロバスでは少数派の仕様で、中型バスのエアロミディとほぼ同等のデザインが特徴である。弘南バスでは三菱自工製ボディのエアロバスと、新呉羽製ボディの双方を購入した