終戦と沖縄の本土復帰の象徴である車両たち
●K-MP518M

沖縄では、観光バス仕様車であっても路線バス用シャーシを採用する例がかつて多く見られた。これもその一台で、貸切用に投入されたセミデッカー車である。撮影当時は格下げされ、111系統那覇空港~名護間高速バスに使用されていた
●P-MP218M

1989(平成元)年に導入された一般路線バス用トップドア車。沖縄本島の郊外路線は、前乗り・前降りが標準で、自社発注車はトップドアで導入されてきた。また、側窓がブルーの着色ガラスになっているのもこのころの沖縄バスの特徴の一つだった
●U-MP618M

1992(平成4)年式の一般路線用車両。観光スタイルのボディにハイバックシートが並ぶデラックスな車両である。画像の77系統は本島東海岸を北上したのち、辺野古から島を横断して名護に至る長大路線で、2時間以上を要した。こうした長距離路線には快適な車両である
●U-MP618M

こちらは那覇・名護間高速バス用に投入されたエアサス・路線バスベースのトップドア車で、三菱のカタログカラーをベースとした車両。この頃も高速バスは路線バス用シャーシをベースとしていた
●P-MS729S

新呉羽自工製のスーパーハイデッカーで、いわゆるエアロクィーンK。画像はJALのツアーバスで専用カラーで塗装されているが、沖縄では各社とも旅行主催会社に合わせたカラーリングの貸切バスが多く在籍していた
●P-MP218K

ナナサンマル車の置き換えとして1996(平成8)年から導入が始まった中古バスの一台。これは元・川崎市交通局の車両で、中ドアは使用せず、前乗り・前降りで使用された。側面方向幕はサボで代替した
●P-MP218M

こちらは神奈川中央交通から転入した車両で乗降方式表示窓が残っている。画像は比較的長距離の52系統であるが、徐々に長距離路線にも中古車が運用されるようになっていった。首都圏仕様車は座席が簡素であり、長時間の乗車には向いているとは言えなかったが
●P-MP618K

元は首都圏で使用された自家用車の車両で、比較的珍しい三菱シャーシ+富士重工7E型ボディの組み合わせ。比較的座席数の多い自家用車は、県内他社でも路線バス用に多く採用例が見られた