兵庫県の淡路島内の貴重な公共の足である、淡路交通が運行する路線バス。様々な方面との間を結ぶ路線の中で、とりわけ象徴的な存在感を放つのが「縦貫線」だ。
文・写真:中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWeb内本文上とギャラリーに、淡路交通縦貫線の写真があります)
■淡路交通縦貫線のプロファイル
淡路交通の縦貫線は、島内で最も規模の大きな港町・洲本を中継拠点に、およそ13km海沿いを北上した先にある津名港と、洲本から22kmほど南下した島内南端の主要地である、福良との間をそれぞれ結ぶ一般路線バスだ。
2026年6月現在のダイヤ準拠で、津名港方面/福良方面ともに日中1時間に1本くらいのペースでバスが出ており、淡路交通が運行する中でも比較的本数の多い路線となっている。
南から福良〜洲本〜津名港の順に経路が繋がり、同区間を合わせて「縦貫線」と呼ぶが、福良〜津名港間の通し便はなく、基本的に洲本(洲本バスセンター)で系統が分かれている。
洲本〜津名港間の所要時間を見ると、ダイヤ通りなら34分。中乗り/前降りの運賃後払い方式が取られており、全区間利用時の場合340円だ。
なお、利用する便によっては、津名港バス停の一つ手前にある津名高校前バス停で下車すると、岩屋方面へのコミュニティバス(淡路市 あわ神・あわ姫バス)への乗り継ぎがスムーズにできる。
一方の洲本〜福良間には途中の経路違い(無印、Aルート、Bルート、Cルート)があり、全区間利用時の所要時間は55分前後、運賃は500円となっている。
一般路線バスとしてはそれなりに長い距離を走る割にリーズナブルな運賃設定。これは近年、同地の行政がバス利用促進の一環で、運賃を40%値引きする補助を実施しているため、100〜500円のプライスレンジを実現しているそうだ。
■今は名前だけ残ってます
“縦貫”と名が付くとなれば、島内南北の端から端までを結んでいるイメージを抱く。とはいえ縦貫線の北側の終点がある津名港は、島内東海岸の途中に位置している。島の北端部分に本州との間を結ぶ連絡船の港があって、明石海峡大橋を近くに望む場所は岩屋だ。
実は元々は福良〜洲本〜岩屋まで路線が伸びていたが、2019年のダイヤ再編で津名港〜岩屋間が休止となり、代わりにコミュニティバスへと移行した関係で、路線名は縦貫線のまま経路が短縮された経緯がある。
また、南側も以前は福良より先の、鳴門海峡を渡る交通手段のアクセス口まで一部の便が延伸していた時期もあった。こちらも現在は終了しており、高速道路経由で本州との間を繋ぐ同社の「舞子・福良線」がそれに近い立ち位置で後を継いでいる。
■ルーツを辿ると100年以上?
淡路島では大正時代に乗合バスが走り始めており、日本のバス史の中でも結構古い歴史を持つ場所となっている。
淡路交通が現在も運行している路線バスにも、今や名門と言えるほど時代の貫禄を持った路線があり、縦貫線もまたその一つに数えて差し支えさなさそうだ。
「縦貫線」という路線名自体は、確認できた限り1960年の淡路交通の時刻表には既に掲載されており、この段階で少なくとも66年前にはバス路線が存在していたことになる。
古い時刻表ベースに紐解いてみると、その昔の縦貫線は、福良〜洲本〜岩屋を南北に繋ぐ各停タイプのほか、福良〜洲本〜岩屋間直通の急行・特急バスも運転されていたとある。
さらに時間を遡ると、1929年5月に営業を開始した「淡路縦貫自動車株式会社」という気になる文言が現れる。こちらは岩屋〜洲本〜福良間58.9kmを結ぶ路線を運営するバス会社だった。
同社は1933〜34年にかけて解散。直後に当時の島内最大手で淡路交通の前身でもある淡路鉄道に統合されているようで、その後の縦貫線を形作る足掛かり的な路線だったのではないかと推測すると色付きが良い気がする。
また、洲本〜福良間に至っては、大正8年・1919年に当時の淡路自動車が、乗合馬車に混じって乗合バスを走らせていたとされる。
当初は運休率が高かったようで、正式に定期運行を始めたのは大正10年・1921年からであった。1933年時点での使用車両は15人乗りクラスのT型フォード。
この淡路自動車もまた、1927年に淡路鉄道の傘下に収まり、1934年に買収されているため、結果的に洲本〜福良間の乗合自動車が、淡路交通が持つ路線バス網の形成に一役買ったとも考えられる。
もしバスの運行区間のみに注目して、1919年開業の淡路自動車による洲本〜福良間の乗合自動車を、今日の淡路交通のルーツに見立てるとするなら、縦貫線は既に100年以上の時の流れを組むバス路線となり、なかなかの大河的ロマンが感じられて楽しい。








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