西鉄バス北九州「香月営業所」の前身である「小嶺車庫」  今も残る転回場に華やかだった国鉄時代をしのぶ

西鉄バス北九州「香月営業所」の前身である「小嶺車庫」  今も残る転回場に華やかだった国鉄時代をしのぶ

 バス停散策、以前に西鉄バス北九州の「香月営業所」停留所を取り上げたが、今回はその前身となった小嶺営業所あらため「小嶺車庫」停留所に行ってみた。かつての「全盛時代」を思うと都市計画の重要性を再認識した、そんなオピニオン記事である。

文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)

【画像ギャラリー】香月営業所の前身「小嶺車庫」に行ってみた!(11枚)画像ギャラリー

香月営業所と併存期間もあった小嶺営業所

 小嶺営業所は現在では敷地の規模をかなり縮小し、小嶺車庫として当地折り返し便の転回場の機能のみが残る。時期的には先に香月営業所は国鉄香月駅跡にできていたが、小嶺営業所も併存していた。

小嶺車庫バス停
小嶺車庫バス停

 西日本鉄道がバス会社を分離してさらに地域分社化した際に香月営業所は西鉄バス遠賀(現・西鉄バス筑豊)の所属になったが、小嶺営業所は西鉄バス北九州の直営営業所としてしばらくは存続した。

 その後の改変で香月営業所が西鉄バス北九州に復帰すると、手狭な小嶺営業所は廃止され、担当路線のほとんどを香月営業所に、一部を八幡営業所に移管して小嶺車庫になった。

小嶺営業所時代は戸畑との間を往復しまくっていた

 小嶺営業所があった頃は営業所前を通る国道200号(現・211号)にはひっきりなしにバスが走っていた。特筆すべきは40番で小嶺営業所と戸畑渡場との間を、多くのバスが往復しまくっていた点。それこそ時刻表が不要なほど国道200号を走る路線バスの多くは、40番で占められていたといっても過言ではない。

馬場山方面から黒崎に向かう53番
馬場山方面から黒崎に向かう53番

 後年になり、黒崎インター引野口付近から延びる新しい道路が整備され、新道が国道200号に指定替えされたことにより幹線系統が二分化され、路線も整理・短縮あるいは縮小され続け現在に至る。

当時の路線を思い出す

 昭和末期の小嶺営業所を発着する、または通過する路線の一部を思い出すと本当に多かったのが実感できる。現在の行先番号と異なる系統も担当が小嶺あるいは香月とは異なる路線もあるが、40番台の系統は小嶺営業所から戸畑方面が基本で、40番・戸畑渡場、41番・若松駅、42番・馬場 花尾町経由経由八幡駅方面だった。

今でも系統は異なるが連なって走る場合もある
今でも系統は異なるが連なって走る場合もある

 70番台は黒崎バスセンターから八幡西区南西部方向へ走る系統で、70番・直方、71番・筑鉄香月、72番・畑観音、73番・馬場経由小嶺営業所と直方まで途中から狭隘路を走る路線バスもあった。

次ページは : 市内急行も存在した

最新号

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

バスマガジン Vol.126は9月20日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、東急バスを特集。東京都から神奈川県において都市部から住宅地、田園地帯まで広いエリアを綿密なネットワークを展開、さらに高速路線バスやエアポートリムジンも大活躍。地域住民の足としてはもちろん、首都圏の動脈ともいえる重要な存在だ。  続く特集は、ついに日本に上陸しさらに種子島での運行が決まった、ヒョンデの電気バス[ELEC CITY TOWN]の試乗インプレッション。日本におけるヒョンデの本拠地である横浜・みなとみらい地区で、徹底的にその性能を確認した。  バスの周辺パーツやシステムを紹介する[バス用品探訪]では、なんと排出ガスからほぼ煤が出なくなるというエンジンオイルを紹介。この画期的な商品「出光アッシュフリー」について、出光で話わ聞いてきた。  そして後半カラー特集では、本誌で毎号、その動向、性能を追跡取材してきた「カルサンe-JEST」。このトルコ製小型電気バスがついに、運行デビューを果たした。その地は長野県伊那市と栃木県那須塩原市。今後の活躍が期待される出発式を紹介する。