9月20日はバスの日!! 開業120周年!! でも路線バスの歴史はどこから!? 

■問題続出で長続きせず?!

 日本初となった二井商会の乗合自動車は相当な話題をさらったようで、全国の新聞を賑わせたとされる。9月20日の開業日は大勢の人々が現地に詰めかけたらしい。

 話題性とは裏腹に、前例がないということで、警察など道路を管理する側には乗合自動車という存在そのものを理解してもらえず、営業許可を得るのに難航したと言われる。

 二井商会と警察の温度差は、開業当日早々に運行中止命令が出るほど顕著だった。ここでは切符を発売せず、乗車を希望する人から「報酬」の形で一定額を受け取り、試運転の名目で営業をするという、取ってつけたような方法で一時回避を図っている。

 正式に営業許可が下りたのは同年11月21日であった。しかし、試運転の名目で運行を続けていた時期も平穏とは言えず、10月14日までの間に事故を3回起こしている。

 また、バスが利益を出し始めると、既存の公共交通機関であった人力車の事業者から、激しい嫌がらせを受け始めたとある。身の危険を感じた福井本人は、護身用の拳銃を自宅に用意していたらしい。

 開業時の熱が冷めてくると利用者が減り、次第に経営が悪化。追加で購入した3台目の車両が炎上する大事故を起こしたほか、燃料代高騰や巨額の整備費がのし掛かるなど、業績回復の見込みが立たなくなり、二井商会は1904年早々に廃業の憂き目にあってしまった。

 日本初のバス事業は実働4ヶ月程度と、非常に短いライフスパンであったが、福井九兵衛の熱意と行動力からは学ぶべきものが多い。

■120年前の交通事情はどうだった?

 日本で初めて路線バスが走った1903(明治36)年当時、他の公共交通機関にはどんなものが存在していたのだろうか。

1903年発行の鉄道時刻表「汽車汽船旅行案内」。現在でもおなじみの商品の広告が!!
1903年発行の鉄道時刻表「汽車汽船旅行案内」。現在でもおなじみの商品の広告が!!

 まず飛行機であるが、京都でバスが走った時点では、アメリカのライト兄弟やラングレー教授がせっせと開発に勤しんでいる頃だ。初飛行は同年12月17日のライト兄弟によるものだった。

 日本の交通事情に話を戻すと、まだ庶民的とは言えないものの船の国際航路が広く展開しており、横浜〜シアトルを16日くらいで結ぶ定期船が既にあった。

 鉄道も新橋から神戸まで直通列車が出ており、バスが初めて走った京都にも、乗り換えなしの15時間程度でアクセスできる環境が用意されていた。

 京都市内では、こちらも日本初となった路面電車が19世紀の終わりに開業済。路面電車が通らないエリアへの移動は前述の人力車が主力であった。

 かかる時間や乗り物の姿形こそ全く異なれど、公共交通機関の充実度という面では、今とあまり変わらないかもしれない。

【画像ギャラリー】古写真から紐解く120年前の交通機関(7枚)画像ギャラリー

最新号

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

バスマガジン Vol.126は9月20日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、東急バスを特集。東京都から神奈川県において都市部から住宅地、田園地帯まで広いエリアを綿密なネットワークを展開、さらに高速路線バスやエアポートリムジンも大活躍。地域住民の足としてはもちろん、首都圏の動脈ともいえる重要な存在だ。  続く特集は、ついに日本に上陸しさらに種子島での運行が決まった、ヒョンデの電気バス[ELEC CITY TOWN]の試乗インプレッション。日本におけるヒョンデの本拠地である横浜・みなとみらい地区で、徹底的にその性能を確認した。  バスの周辺パーツやシステムを紹介する[バス用品探訪]では、なんと排出ガスからほぼ煤が出なくなるというエンジンオイルを紹介。この画期的な商品「出光アッシュフリー」について、出光で話わ聞いてきた。  そして後半カラー特集では、本誌で毎号、その動向、性能を追跡取材してきた「カルサンe-JEST」。このトルコ製小型電気バスがついに、運行デビューを果たした。その地は長野県伊那市と栃木県那須塩原市。今後の活躍が期待される出発式を紹介する。