鉄道・軌道事業中心の会社であった成田鉄道が、1929年5月1日、初めて乗合バス事業に乗り出すことになる。
宮島豊吉氏(飯岡町内乗合)より銚子駅前~飯岡町、飯岡町~飯岡駅前の路線を譲り受け、さらに5月24日に小川良房氏より八日市場~旭を譲り受けて、これに成田鉄道初の路線免許の飯岡~旭町を統合して銚子駅前~八日市場を結ぶ乗合バス路線として運行を開始した。
(記事の内容は、2021年11月現在のものです)
執筆・写真/諸井泉
取材協力/千葉交通
参考文献/千葉交通60年のあゆみ・100年の歩み 北総地域と共に一世紀(発行:千葉交通)
※2021年11月発売《バスマガジンvol.110》『あのころのバスに会いに行く』より
■千葉交通の最初の乗合バス運行は飯岡営業所から始まった
開始されたバス事業は、飯岡において7台の乗合自動車を使って開始したという。この飯岡こそ千葉交通のバス事業創業の地となるのだが、営業所がどこにあったのか「千葉交通100年の歩み」に掲載されている、旧国道126号線沿いにあった飯岡営業所跡の写真を手掛かりに探してみた。
地元の方々に写真を見せて、撮影場所がどのあたりだったのかを聞いてみた。唯一の手掛かりといえば、写真に写っていた関東運輸という看板だけだがそれも今はなく、道路が直線道路であったことで、おおよその場所と建物の影から道路がどの方向を向いているのかがわかった。
しかし、昭和初期のことなので有力な証言までは得られなかった。ただ、玉崎神社の鳥居の前にある玉崎神社バス停に、かつて旧成田鉄道のバス営業所の建物があり、道路の向かい側の空き地がバスの駐車スペースだったことがわかった。
この飯岡営業所から、成田鉄道における最初の乗合バス運行が銚子駅前~八日市場間で始まったわけである。
成田鉄道がバス事業を開始した背景には、1928年に陸運監督権が逓信省から鉄道省に移管されたことがある。大正期から昭和にかけて、鉄道・軌道事業者と乗合バス事業者が乱立していたことから、同一地域で営業する事業者間での利害調整が必要となった。
その解消整理を目指していた当時の鉄道省の方針もあって、鉄道・軌道事業者によるバス事業者の支配と系列化が図られており、成田鉄道も精力的に乗合バスの分野へと進出することになったわけである。
このように、銚子駅前~八日市場間の乗合バス路線開業によって、その先の成田~八日市場間は成田鉄道で繋ぐという、鉄道・バス併存による北総交通ネットワークの構築に踏み出していった。
■10社余りのバス事業者と併合し路線網が構築されていった
その後、成田鉄道は積極的に乗合バス事業へと進出することになる。1931年から1944年にかけて、主なものでは、宗吾乗合自動車の成田駅~宗吾堂前~酒々井駅前~京成酒々井駅前、北総自動車商会の佐原~小見川~銚子、袖ケ浦自動車の成田~佐原、
房総自動車の八日市場~横芝~松尾~成東、銚子吉原自動車商会の銚子市内、成田町内自動車の成田~七栄~十倉・中沢、香匝自動車商会の佐原~多古~八日市場など北総・東総地区の10社余りのバス事業者を相次いで譲り受け、成田鉄道バス部門の路線網が構築され今日の基盤となった。
戦時体制が強まると戦時不要不急路線として鉄道線の八街線及び多古線、そして成宗軌道線までもが国からの資材転用指示により相次いで廃止された。そして終戦後の1946年11月、成田バスと改称してバス専業会社となり、1956年11月には現在の社名である千葉交通になった。
「千葉交通60年のあゆみ」の冒頭には、佐藤春夫詩集の「犬吠埼旅情のうた」が犬吠埼の風景写真とともに紹介されている。これはバス事業への進出は東総地域にある飯岡(現在の旭市)から始まり、この地区の小規模バス事業者の数々を傘下に収め路線網を構築して、銚子営業所を開設したことにもよるようだ。
千葉交通は2008年11月16日に創立100周年を迎えたが、それを記念して同年11月9日~23日の15日間、かつて成宗電車が運行されていた「成田山門前~成田駅前~宗吾霊堂」間にボンネットバス(いすゞBXD30)を運行させた。
この車両は個人所有のボンネットバスを借り上げ、昭和の時代から2007年まで活躍していた通称「銀バス」カラーにラッピングし、営業用ナンバーを取得して運行したもので、当時の100周年事業に掛ける思いが込められていた。
また、2018年には創立110年を記念し、同年に落成した路線バス車両のうちの3台に「銀バス」ボディカラーを復刻させている。「銀バス」復刻ボディカラーバスは現在でもその姿を見ることができるが、街の風景に溶け込んで走る姿は110年の時を超え、千葉交通の歴史を今に伝えている。
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