■1930年当時のバス
1930年のバス事情はどうだったのか。当時の時刻表を開くとバス路線自体は結構な数が見て取れるが、日本に高速道路は当然1つも作られておらず、100km以上の距離を走る都市間バス的な路線も、あるにはあるが極めて少数派だったようだ。
車両面ではまだ日本製のバス車両は黎明期といったところで、シボレー、フォード、ホワイトほか海外ブランドの車がバスとして広く使われていた。
いずれもガソリンエンジンをフロントに配した、足掛けに使えそうな大型フロントフェンダーの付いた、自動車としては今や太古のデザインフォーマットと言えるもので、現在の「バス」とは姿形もスペックも全くの別物。
国産車の例としては、後のいすゞ自動車の前身となる東京瓦斯電気工業と石川島自動車が、1930年にバス専用シャーシを手がけている。
1930年は、12月20日に岡崎〜多治見間57.1kmと、瀬戸記念橋〜高蔵寺間8.7kmの区間を「岡多線」の名称で、国鉄が初めて路線バスを走らせた年でもある。
岡多線には東京瓦斯電気工業製と石川島自動車製の国産バス車両が導入されていたのも、日本のバス史を飾る象徴的な出来事といえる。瓦斯電製は「MP型」、石川島自動車製は「LB型」と呼ばれるタイプだ。
いずれもボディ込みの長さが7m程度・幅2m前後。MP形が定員25〜37名、LB形は20〜30名となっていて、今日のマイクロバスくらいの輸送力と言えそうだが、当時としては幹線向け大型車の枠組みだった。
岡多線で使われた瓦斯電製MP型は、現存している個体が名古屋のリニア・鉄道館に展示されており、こちらも現在は国の重要文化財に指定されている。
■1930年当時の航空機
1930年の航空機事情に目を向けると、飛行機は技術がまだまだ未成熟であり、ことに民間向けとなれば超富裕層(もしくは命知らず)が乗るような立ち位置であり、誰でも簡単に飛行機を利用できる今とは似ても似つかぬ世界だったらしい。
また、お客を乗せて飛行船が飛んでいた時代であるのも別世界。なかでも1928〜36年まで使われた、日本へ飛来したことでも知られるドイツのLZ127「グラーフ・ツェッペリン」が代表格で、実は氷川丸が同世代だったのに驚かされる。
爆発事故を起こして飛行船の商業運行に終止符を打った、LZ129「ヒンデンブルク」は1936年登場で、氷川丸が竣工した時点ではまだ存在していない。
エンジンの付いた固定翼機の場合、1930年に初飛行した有名な機体に、英国ハンドレページ社製4発レシプロ機「HP42」がある。魔女の宅急便の最初のほうに出てくる飛行機と言えばイメージしやすいかも。
1930年時点で日本に旅客向け路線があったのかと言えば、何とこれが運航している。日本航空輸送会社による東京〜大阪〜福岡を結ぶ定期便があり、主に6人乗りの単発プロペラ機「フォッカー・スーパーユニバーサル」が使われていた。
1930年10月現在の時刻表準拠で、東京8:40→大阪11:10→(水上機に乗り換え)→大阪11:30→福岡14:40、というダイヤが組まれていた。最大速度220km/h前後……今日の新幹線よりも飛行機のほうが遅かった時代である。
氷川丸と同年代の電車、バス、飛行機を例に照らし合わせてみると、どれも姿形はもとより概念すら異なっているような乗り物ばかりが並んだ。
これら顔ぶれを通すことで、現在の氷川丸が本来持っている、年月を重ねて生き残った古いものだけが持つ頼もしさが、より一層鮮やかに見えてくる……ような気がした。
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