東野交通は、かつて東野鉄道と称し、国鉄東北本線の西那須野駅から那須小川に至る鉄道路線を有していた。鉄道の廃止とともにバス専業となったことから東野交通に改称し、栃木県北部を中心に広くバス路線を有した。
その後2018(平成30)年に同じく栃木に本拠を置く関東自動車に統合されて消滅した。平成の終わりとともに消えた事業者となったが、今回はその東野交通の平成初期の様子を紹介しよう。
(記事の内容は、2025年12月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2025年12月発売《バスマガジンvol.131》『平成初期のバスを振り返る』より
■一時は東武グループの一員に。平成初期は中古バスを盛んに投入した
東野交通は黒磯、那須塩原をはじめとした栃木県北部や、県都宇都宮から真岡、益子などの県東部に向けた郊外路線を中心として事業を展開していたが、モータリゼーションの影響を強く受け、昭和末期から平成期にかけて、多くの路線改廃が行われた。
車両も調達コスト縮減を狙って貸切車の格下げ使用や中古車の導入などが活発に行われた。この頃少数ながら導入された自社発注車は、三菱製・日野製が中心に採用されたが、富士重工製車体を架装した車両が多く見られたのも特徴と言えた。
中古車両は、東武グループに属したことから、東武鉄道(当時)や阪東自動車など同グループ内からの車両供給も見られたが、関東にとどまらず関西の事業者も含め、グループ外からも多くの車両が各営業所に転入し、冷房化などの体質改善の一助となった。
当時の基本的な自社発注路線バスの仕様は前後折戸、後ドア締切扱い(前乗り・前降り)であったが、中古車両はこれによらず、様々な仕様が見られた。
また、当時の国内4メーカーの車両が転入し、自社発注では導入されなかった日産ディーゼル製の転入もわずかながら見られた。観光路線を多く抱える黒磯営業所管内では、トップドア車や長尺の中古車も調達されたが、現在では一般的な2ドア車で運行されるようになっている。
塗装は東武グループに属しながらも長らく白地に赤帯のオリジナル塗装を採用していたが、1994(平成6)年に東武グループが貸切車共通塗装を導入すると、東野交通の貸切車もこれに倣った。続いて路線バスについても2001(平成13)年から貸切バス塗装に準じたデザインに移行した。
なお、白地に赤の東野交通標準塗装でも、裾部の細帯を省略したものや、京阪バスなど譲渡元事業者の塗装を一部再用したものなど、いくつか細かい差異も見られた。なお、東野=とうや、をもじった“108”のロゴが平成初期から貸切バスにも貼付されていた。
高速バスは2000年代に空港連絡バスを皮切りに参入し、現在も羽田空港線、新宿線を運行する。一時期、茂木~東京線や、黒磯~成田空港線も運行したが、すでに廃止された。平成初期は夜行バスブームでもあったが、東野交通は参入しなかった。
現在、事業者としては消えてしまったが、バラエティに富んでいた平成当時の同社の車両陣容の一部をギャラリーにて紹介しよう。
【画像ギャラリー】東武グループの一員だったことも……栃木県北部から東部を中心に県民の足として活躍した東野交通の平成初期(10枚)画像ギャラリー












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