取引先に年末の挨拶を済ませてからの帰路のことだった。陽はまだ残っており、撮影できる明るさだった。タクシー運転手に「古い旧家や、味わいある商店のある町を経由してほしい」とお願いすると、この旧家の前に連れてきてくれた。
執筆/写真:柴田秀一郎(バスマガジンvol.75より)
<初訪2001年12月・再訪2014年3月、2015月4月>
「2014年3月末、バス路線廃止」の表示。しかし、さよならイベントもなく、新聞記事にもならない!!
2001年の12月、ここに案内してくれたタクシー運転手のセンスは素晴らしく、絶好のロケーションだった。ここを撮影できて大満足だった。その後予定通りJR磯原駅から東京方面へと向かう常磐線に乗車した。
再訪したのはフリーランスカメラマンになってすぐの2014年3月。これまで撮影した場所を巡る旅をしていた際に、たまたま立ち寄ったのだった。そして「3月末バス路線廃止」の表示を見つけた。
近日中の再訪を心に誓いつつ、何かセレモニーがあれば取材するつもりでいた。そしてイベントの有無について事業者に問い合わせたが、何もないとの返事だった。さらに地元の新聞社にも声をかけたが、バス路線の廃止は日常的なので、今では記事にもならないというつれない返事だった。
かなりガッカリしたが、自分1人だけでも記録するとの使命感(?)に駆られ、東京からクルマを飛ばし、ハイテンションで路線バス廃止直後の取材に臨んだ。
該当地に着いてファインダーを覗いたところ、電柱も電線も道路の向かいにあるミニコンビニもそのままなのに、バス停だけが無くなっており、そのバス停を載せていた木製の台だけが、朽ちつつあるものの残っていることに儚さを感じた。
その後はあいにくと訪れていないが、このバス停を載せていた台は、どうなっているのだろうか? すでにこの撮影後6年が経過している。その間台風を含めて気象条件もよろしくないこともあり、流されているのではと思う。なぜならばもとも側溝だからである。
そして、よくよく写真を注視してみると、バス停時代はバス停を固定するために重しにするために、漬物石のような石を載せていることがわかる。これも路線バス廃止とともに、撤去されたに違いない。なぜなら4月の時点で、既にどこにも写り込んでいないのだから。