高速バスのかつての雄姿を振り返る「高速バスアーカイブ」。今回は宮崎交通をお届けしよう。
高速バスが花盛りだったこのころ、宮崎交通の長距離便も九州の大手各社に遅れることなく開業した。福岡からは大阪や岡山へ、次いで熊本からも長崎からもと、まさに百花繚乱。
かつては新婚旅行のメッカであり、温暖で観光要素もふんだんにあった宮崎からの高速バス便は、活躍するのが当然といえる路線だった。
◉データ
「あおしま号」/宮崎交通
宮崎〜大阪(宮交シティ〜あべの橋バスステーション)
相手会社/近畿日本鉄道(近鉄バス)
執筆/写真:石川正臣(バスマガジンvol.95より)
【画像ギャラリー】九州の高速バスが百花繚乱だった時代のドル箱路線
繁忙期には3台で運行していたほどの人気ぶりだった
1994年初夏の宮崎、まだ全盛期だったシーガイアを訪れた。オーシャンドームの中はすでに真夏。水着姿の若者が行き交い、宮崎交通のバスも大いに活躍していた。
そして夕方になると、起点となる宮崎交通路線バスのターミナル・宮交シティから「あおしま号」に乗車。オンシーズンのため3台での運行だった。そしてこのころは乗務員による出発の挨拶が定着してきていた。発車1分前に2人の乗務員が車内先頭に立ち、
「これより、運転士の○○と□□の二人が交代で皆様の安全を守り大阪まで運転してまいります」と挨拶し発車となる。発車後10分で高速に入り都城北、小林インター、えびのインターの各バス停を経由して進む。
それぞれで少数ながら乗って来る人がいる。これらのバス停で待つ人の数はどこも大勢いたが、これは多くの路線が運行されていたためだ。高速バスの便利さを知った利用者は当時、多数存在していた。
人吉ループ橋にさしかかるとき「日本一のループ橋」の看板が目に入る。宮崎行フェニックス号、鹿児島行き桜島号とは何度も行き違い、各バス停で待っている人たちはこれらを待ち、また福岡へ向かう人たちもいた。
高速バスにとって東北も九州も関西は遠くない土地!?
さて「あおしま号」は22時30分宮原サービスエリアで休憩。そして23時に消灯となる。1時に吉志に停車し、関門橋を渡って本州へ入る。この先は九州へ向かう夜行バスとのすれ違いタイムだ。
相手会社の“近鉄あおしま号”とのすれ違いも確認できた。当時は路線ごとの共通カラーだったため確認は容易だった。以後は以後は2時間ごとに休憩停車し、5時には福石パーキングに到着。7時に上本町バスセンターへ、そして7時20分に終着のあべの橋バスステーションに到着した。ここで仙台と大阪・京都を結ぶフォレスト号と顔を合わせる。
あちらは東北からやって来たが、こちらは南国宮崎からの便。ここで遠くは慣れた地方都市を後にしてきたバス同士が隣り合う。東北も九州も関西にとってはもう遠くない存在になっていた。九州と西日本を結ぶ夜行便のうち、宮崎勢は連休には3台運行という盛況ぶりだったが、普段は週末でも1台というケースが多かった。
お隣の大分県発着便も関西路線は一時期より路線数が少なくなったが、高速道路は九州西側を通行するためその距離は長く、鉄道、フェリーといった競争相手も多いことから「あおしま号」は1999年で運行打ち切りとなった。
その後2008年に近鉄1社で「おひさま号」として復活したもの、これも2016年で打ち切り。再度「ひなた号」として運行始めたが、2019年までで再度運行打ち切りとなってしまった。
一時は大きく栄えたものの、その波が去ってしまった格好での終了となった。