古い写真から、あの頃を思い出す……いまとなっては懐かしいばかりのランドマーク、旧ターミナル時代の羽田空港にタイムスリップして、そのころに撮ったバスの昔話を紹介。じっくりと懐かしんでいただきたい。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(当時の写真付き記事はバスマガジンWEBもしくはベストカーWEBをご覧ください)
■バスを撮るから「撮りバス」?
筆者は今でこそ、日本を離れて鉄道ライターなる仕事をしているが、昔から乗り物全般が大好きで、色々なものを撮影して歩き回っていた。
もちろん、バスもその一つで、今も取材で行った先の国々で、スナップ程度だが撮影をするよう心掛けている。
「撮り鉄」なる言葉がすっかり定着した昨今だが、バスということは「撮りバス」とでも言うのだろうか?
■特別さより普通さを追い求めた
バスの中では、特に路線バスが好みで、華やかな観光バスなどにあまり興味が無かったのは、当時エル特急やブルートレインを追い掛けていた友人たちを尻目に、通勤電車ばかりを撮影していた鉄道写真の趣味と、おそらく同じ要領だ。
ある意味で言えば「非日常的」な特急列車より、地域住民の足としても、毎日黙々と働き続ける通勤電車が好きだった。そしてそれは、バスというカテゴリーにおいても「観光バスより路線バス好き」というところに行きつくわけだ。
小中学生だった当時に、日本全国を一人でふらふらすることなど認められておらず、撮影はもっぱら自宅のある東京南西部~神奈川県辺りが中心だった。必然的に、東急バスや京急バスが一番の好みとなり、撮影対象の中心となっていた。
■飛行機の集う場所にバスあり!
羽田空港は、その中でも特に好きな撮影ポイントの一つだった。空港という、これから旅や出張で出かける人たちを運ぶ路線バスの姿が、何となく格好良く見えた。
ということ、それに空港輸送を担うリムジンバスなど、普段目にすることがない車種が見られるという点も興味を引いたものだ。不思議なもので、車種は同じなのに路線バスである空港リムジンは、これはこれで興味の対象になっていた。
羽田空港へは、通常なら電車やバスで行くものだが、当時はお小遣いも少なく、デジカメも無かったのでフィルムと現像代を考えるとお小遣いは節約しなければならなず、自宅から自転車で撮影に行ったことも何度かあった。
自宅と同じ大田区内とはいえ、沖合にある空港は結構遠く、何時間も掛けて撮影しに行って、また同じ距離を戻らねばならなかった。
■なつかしの羽田空港
さて、アルバムから見つかった写真を眺めてみると、まだ羽田空港旧ターミナルを使用している頃と分かる。現在のターミナルへ移転するのは、今から30年以上前! の1993年9月のことだから、これらがそれより以前に撮影した写真ということが分かる。
一方で、羽田空港周辺で撮影していた時に、警察官から職務質問をされるというハプニングもあった。ずいぶん警備が厳しいけど何かあったのか?……
……と逆に尋ねたら、「これから村山首相が空港に来るんです」と言われたこともあった。村山首相といえば、在任期間は1994年から1996年に掛けてなので、これもだいたい撮影時期が分かる。
バスの写真は、自分の中ではどことなく「スナップ」程度の認識であったため、きちんと撮影日時などを記録しておかなかったことが大変悔やまれるが、写っているバスや周辺の風景から、推理するのもある意味では面白い。
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