今も東京23区内南西部、東急線沿線に実家がある筆者にとって、1980〜90年代の渋谷はまさに勝手知ったる町だった。小学生の頃から電車に乗って買い物へ出掛け、高校生の頃は通学経路で毎日のように寄り道をしていた。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
■バスでも通ったあの頃の渋谷
時間は掛かったが、かつては地元から渋谷駅まで路線バスも走っており、特に急ぎの用事がなければ、バスを使ってのんびりと行くこともあった。
何の因果か、今は地元を離れて海外に住むようになり、地元へ帰るのもせいぜい1年に1回程度のこと。通過することはあっても、渋谷へ出掛けることはほとんどなくなってしまった。
■渋谷で迷子になる
だが今年2025年夏、オフィスが移転したかつての取引先の友人を訪ね、久しぶりに渋谷駅の道玄坂側へ出て愕然とした。
かつては東急バスがずらりと並んでいたバスターミナルがない!!完全に浦島太郎状態で、街の様子も大きく変わってしまったため、訪問先のオフィスを探して彷徨い歩き、完全に遅刻してしまった。
その後、近くのレストランへ移動して別の友人たちを待っていたら、東京に住んでいるはずのその友人たちも迷子になって遅刻してきた…どうやら渋谷は、私みたいな田舎者でなくても迷う街になってしまったらしい。
それにしても驚いた。今は再開発の真っ最中とはいえ、あのバスが何台も待機していた光景はすっかり過去のものとなってしまい、いささかショックを受けた。
それから数週間後、今度はライターの大先輩へご挨拶をさせて頂くため、再び渋谷を訪れた。先輩はよくお店を知っている方で、前回とは異なり、待ち合わせ場所には宮益坂側のレストランを指定してきた。
今度は前回のように遅刻しないよう、早めに自宅を出たが、ふと前回は道玄坂側だけしか見ておらず、反対側の様子を確認していなかったことに気付いた。
■宮益坂側も変わっていた
少々不安を抱えながら山手線を降りて外へ出ようとしたら、やはり駅前ロータリーの様子が全く変わっており、そのあまりの変貌ぶりにまたしても驚かされてしまった。
都電がまだ走っていた時代の名残でもあった、宮益坂側の駅前広場には、やはり広大なバスターミナルがあり、そこから都営バスが次々と発車していたが、その大きさは半分くらいに縮小され、かつてはバスターミナルの敷地だった部分まで駅ビルが迫り出してきている。
もはや、私の知っている渋谷駅前のバスターミナルではなくなっていた。だが、その当時と比較して変わったことと言えば、別にバスターミナルが小さくなったことだけではない。路線の数や運行区間も、昭和~平成の頃と比較すれば明らかに減っているのが分かる。
かつては並行する鉄道路線をカバーする形で、駅間の利用者を拾うような路線がいくつかあったが、気が付いたらそれらの路線はなくなり、鉄道とバスのすみ分けが進んだ。
■路線バスは路線も車両もコンパクトに
またかつては、少し離れた住宅街から主要ターミナルまで直通する路線バスがいくつか設定されており、鉄道を利用するより少し時間が掛かっても、バスにのんびり揺られ、乗り換えなしで都心へ向かうことができた。
例えば、筆者の地元には渋谷駅~丸子橋(大田区)間の渋33系統が設定されていたが、いつしか路線はぶつ切りにされ、本数は減らされ、バスも大型路線車から日野ポンチョのような小型バスになってしまった。
東急の鉄道路線は駅間が比較的短く、少し歩けば何らかの駅に辿り着けるという利便性もあって、この地域でわざわざ時間を掛けて積極的にバスを利用する理由もなく、削減は致し方なし、といった感じではあった。
ともあれ、まだまだ渋谷駅の開発は進行中で、これから数年を掛けてさらに大きく変貌していくことだろう…ということは、筆者はこの先も渋谷へ来るたびに、迷子に悩まされることになるかもしれない。
個人的には、あのバスターミナルの広々とした空間が渋谷らしくて好きだったのだが、今やそのスペースにもビルが建ち、昔を知るものとしてはどうしても息苦しさを感じずにはいられない。
願わくは、「渋谷ダンジョン」などと揶揄される地下街のように、地上までもが迷路のようにならないことを祈っている。
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