以前に何度か寄稿をさせて頂いたが、実家に眠っていた大量のネガを回収し、筆者がカメラを手にして撮影を始めた1984年以降の写真をスキャンしている。今回は、1994年頃に撮影されたと思われる羽田周辺の写真を何枚かご紹介していこう。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(当時の羽田空港周辺を走るバスの写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■空港と周辺地域を結んだリムジン
小学生だった当時から、主な撮影対象は鉄道であったが、バスも興味の対象で、以後大学生に至るまで細々とバスの写真も撮影していた。ただ、鉄道ほど熱心ではなかったのと、興味対象が地元だったということで、東京都内、それも城南地区というかなり限られた地域の写真ばかりが残されていた。
羽田と言えば空港、となると東京空港交通のリムジンバスがまず頭を過る。もちろん、同社のリムジンバスの写真も撮影をしていたが、筆者にとって特に馴染みが深かったのが京浜急行バス(現京急バス)であったため、それほど多くの写真は残されていなかった。
空港と周辺地域を結ぶリムジンバスには、観光車を採用するのが一般的となっているが、京急は一時期、一般路線車をベースに、最前部だけドアを設けたトップドアの車両が導入されていた。
ブルドッグの愛称で親しまれた三菱ふそうのMP517は、トップドアにメトロ窓というスマートな外観を持ち、空港へ出入りするバスの中でも一際目を引いたが、撮影した当時は新車への置き換えが進み、すでに姿を消していたようだ。
■観光タイプの車にシフトした時代
そのブルドッグの代わりに導入されたのは、同じ三菱ふそうのエアロスターではなく、観光車のエアロバスだったのは少々残念だった。エアロスターのリムジン仕様も導入されていたものの、途中からエアロバスへ切り替わってしまった。
一般路線車ベースの車体はスーツケースなどを積み込むトランクが設けられず、荷物の積載に難があったことが、観光車ベースに変わった理由と言われている。
元々は、横浜駅と羽田空港を高速道路経由で結ぶ路線(羽横線)で使用されていたが、エアロバスが導入されて以降は、現在一般路線となった川崎駅~羽田空港間が主な活躍の場となっていた。
ただし、エアロバスなどの観光車が主流となって以降も、一般路線との兼用車が少数ながら製造されており、こちらは中ドアが設けられていたが、ハイバックシートやメトロ窓(もしくは上部引き違い窓)を採用しており、観光車との兼用であるワンロマ車に近い形態となっていた。
兼用車は、通常は一般路線で使用されることが多く、繁忙期など車両が不足する際にリムジンとして使用されていたようだ。この当時の写真を見ても、兼用車は羽田空港と蒲田駅東口を結ぶ蒲41系統で使用されている様子が窺える。
なお神奈川県方面へは、他に川崎鶴見臨港バスが新横浜駅までリムジンバスを運行しており、こちらは三菱エアロバスを使用していた。
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