チャレンジングなバスが多く登場していた絶好調の時代 関東自動車:編


 栃木県の県都宇都宮を中心に、現在はほぼ県内全域に路線バス網を持つ関東自動車。産業再生機構による経営再建を経て、2018年に東野交通と合併するまでは、主に県南地域を主体とする事業者であった。

 1975年以降、路線バス事業は長期的低落傾向に入るが、関東自動車の平成初期は初の高速バス路線開設や、それに続く大阪への長距離夜行バスの運行開始、深夜バスサービス・バスカードシステムの開始、ノンステップバス導入に伴うデザイン変更など、活発な挑戦が続く中興の時代だったといえよう。

執筆・写真■石鎚 翼(バスマガジンvol.103より)

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一時は路線バスの乗客は減少するも空港連絡バスが人気を博していた

三菱KC-MP747M/1998(平成10)年に導入されたノンステップバス(表記は三菱の商品名に倣い「ノ-ステップバス」)で、カラーリングが一新された。こののち、ノンステップ・ワンステップバスの標準カラーとして定着する

 この時代の路線バスは既に乗客の低落傾向が続いていたことから、主に首都圏からの中古バスを活発に導入し、老朽車両の代替を進めていた。また、地方路線では効率化の一環で車両の小型化も進められていた。

 一方で1992(平成4)年には宇都宮駅からの深夜バスを運行開始、1993(平成5)年にはバスカードシステムが導入され、利用促進や利便性向上も図られた。

 高速バス事業への参入もこの時期に図られ、1989(平成元)年には、成田空港線高速バス「マロニエ号」が運行を開始。これが初めての高速バス路線であった。北関東の地方都市と成田空港を結ぶという、当時としては挑戦的ともいえる路線であったものの、他の交通機関では不便なルートを直結する路線として人気を博し、増発が続いた。

 高速バス「マロニエ号」はその後羽田空港線、新宿線も開設され、関東自動車の高速バスブランドとして定着していった。最寄りの大都市である東京へは、鉄道の利便性が極めて高かったことから、鉄道では不便なルートというニッチなニーズに着目した高速バスサービスは、その後も「北関東ライナー」(水戸線・前橋線)などの運行につながっていく。

 続いて1995(平成7)年には、近畿日本鉄道(現・近鉄バス)と大阪線夜行高速バス「とちの木号」の運行を開始。初期投資を抑えるため、予備車には近鉄からの中古バスも活用した。のちに2階建て車両の導入や、USJへの延長運転、真岡便の追加など、増強が続いた。

日産ディーゼルP-U32N/西武バスから転入した長尺車で富士重工5Eボディを架装。こちらの車両は前面行先表示器のみ大型幕とされている。この時代の自社発注車は前後ドアであったため中古バスは容易に判別できた

 1998(平成10)年には一般路線バス用にノンステップバスが導入された。これにはホワイト地にブルーのストリームラインを配した新デザインが採用され、その後ノンステップバス・ワンステップバスの標準塗装として採用されていくこととなった。

 一方一般路線バスは黄土色と赤のストライプの塗装が継続して採用され、東野交通との合併に際し2019年に導入された新塗装の登場まで、長らく関東自動車のイメージとして定着していた。

 その後関東自動車は経営難に陥り、2004(平成16)年に産業再生機構による支援を受け、再建に着手する。その後、民間ファンドの出資を経て、現在はみちのりホールディングスの傘下企業として、再び新たな挑戦を続けている。

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