1970(昭和45)年に宮城県内3社(宮城バス・宮城中央バス・仙南交通)が合併して誕生した宮城交通は、長らく宮城全県をネットする事業者として公共交通を支えてきた。しかし、3社経営統合後も経営難や労使問題から、抜本的な経営改善がなかなか進まなかったのも事実だろう。
そのような中で、平成年間は仙台市を除く地域の分社化と高速バス事業への参画、宮城県初の地下鉄開業に合わせた路線再編による収益改善など多くの変革が進められ、現代に続く新たな体制の地盤が作られたと言っていいだろう。
執筆/写真:石鎚 翼
※2021年5月発売「バスマガジンvol.107」より
【画像ギャラリー】宮城県全域をカバーする宮城交通、その平成初期を彩ったバスたち
この平成初期に企業再編が繰り返され、大幅に組織が変化した
●日野 P-RU174AA
平成の始まりと共に、宮城交通は積極的に高速バス路線の運行に参入した。1989(平成元)年には青森、弘前、盛岡、酒田線を相次いで開業させ、翌90(平成2)年には、大阪、名古屋線の夜行バス運行にも進出した。大阪線「フォレスト号」は片道約12時間を要する長距離路線である。
一方1989年にはそれまで一般道経由であった仙台・山形線特急バスが高速道路経由に改められ、所要時間の大幅な短縮を実現した。
この路線はその後山形自動車道の延伸に伴い逐次所要時間を短縮し、一般道経由時代は10往復だった路線が、その後80往復へと大幅に拡充され、高速バス事業の柱として成長した。
●いすゞ K-CLM470
また一般路線分野では1992(平成4)年の宮交栗原バス設立を皮切りに地方路線の分社化を進め、98(平成10)年までの間に宮交登米バス、宮交大崎バス、宮交気仙沼バス、宮交石巻バス、宮交仙南バス、宮交バスシステムを相次いで設立して地方路線を分離した。これによって宮城交通本社の営業エリアは仙台市を中心とした地域とされた。