以後に続く中距離便のエポックメーカーという功績を残した
なかなか華々しく運行を開始した同路線ではあったが、当初より利用者は伸び悩み、開業から3年後にはついに運行を取りやめることとなった。生活路線として乗車する、地元の利用者に便利な途中のバス停が少なく、乗客用の自家用車駐車場も少なかったという不便に面が目立ってしまったためかもしれない。
しかしこの2~3年後、昼行便が次々と開業していった。97年に開通した東京〜千葉間を結ぶアクアラインでは東京と房総各地を結び、東北道も当時よりも首都高速とのアクセス、アプローチが充実され、短時間で結ばれることによってジェイアールバスなどの有力な事業者が、栃木県、福島県方面へ次々と開業していった。
どの路線も盛況な理由として、地方側に便利な細かな設定のバス停、自家用車用駐車場の完備など、同じ東京便でも鉄道とは違う需要があるのもこの路線にとって追い風となり、ほかの路線のお手本にもなった。
開業以来乗車率が低く、減便後に廃止となってしまったが、今日、数多く成功している中距離便に対しての課題や提案などを実現し、多くの功績を残した路線といえよう。