古き良き、高速バスが百花繚乱だった時代のルートや車両をアーカイブ記事として紹介するこのコーナー。今回は『速い話が一直線』をキャッチフレーズに、都心から日光への昼行便が堂々の開業を遂げた1995年のお話だ。
首都圏在住の人には箱根と並ぶ超一級の観光スポットだった、日光・鬼怒川温泉。精悍な姿の東武特急で快適にひとっ飛び!! のリゾートだった。そこに[新宿発]を高らかに謳ったバスが切り込んだころ、まだ高速バスには試行錯誤の時代だったのかもしれない。
執筆/写真:石川正臣
※2016年7月発売「バスマガジンVol.78」より
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飽和状態だった!? 夜行バス昼行便の登場が待たれていた
1980年代に全国で開業ラッシュした夜行バス。しかし95年にはそれもひと段落したものの、なんとその年の春、新宿から日光鬼怒川に向かう昼行便が開業した。
関東バスではそのころ、奈良と大阪への2系統4路線の夜行路線が盛況で、さらに岡山便も運行開始していたが、勢いに乗った次なる高速路線は昼行便だった。当時の昼行便といえば、東名は国鉄(JR)、中央は京王、そして関越は西武が各地にいくつもの路線を運行してきたが、この新路線ではついに、東北道を北上する路線となったわけだ。
日光、鬼怒川のエリアは観光地として東武特急が強力に利用者輸送しているが、東武電車は浅草駅が始発。一方、この路線バスは新宿発車。山手線内からの始発というアドバンテージを大きく打ち出し、「早い話が一直線」をキャッチコピーとして走り出したのだった。
95年3月18日の土曜日。まだコートは脱げないものの、そろそろ春めいてくるという季節。飛び石三連休の初日がその開業日となった。忘れることのない阪神淡路大震災から約2か月後の開業。そして3日後の20日には、人類の行為として許されない地下鉄サリン事件も起きた。そんな波乱の95年初頭にこの路線は開設されたのだった。
日光・鬼怒川の住民が首都圏に出るための“足”としても注目
3月とはいえ初日の朝から雪まじりというやや荒れた天気の中、関東バスの路線乗り場から第1便は、関係者たちが見守る中、堂々と発車した。
この新宿発9:00の便、鬼怒川温泉行に乗車した。新宿を出て10:10に高速道路に入り、10:45佐野サービスエリアに到着して15分間の休憩。東北道をさらに北上して宇都宮で分岐、日光宇都宮道路と進む。
正面には日光連山が待ち構え、時間の経過とともにその姿は大きくなり、近づいてくる。この日光宇都宮道路は日光へのルートをいち早く切り開いた優秀な道だ。今市インターで高速降り、ほぼ定刻の12:15には終点の鬼怒川温泉駅に到着した。
目的地はまだ白く雪化粧した風景で、観光で訪れるにはちょっと早すぎたかもな、と感じた人も少なくなかったように思えたが、この終点で降りたったバス停では、折り返しの新宿に向けての新しいルートとして利用する地元客が少なからず並んでいた。
観光でなく、地方の住む人が都会へ出るための手段として利用することが、実は高速バス利用者の中では最も多いのだか、そのニーズはここでも例外ではなかった。