ナゾのバス停「大関横丁」 トロリーバスや都電の分岐点だったは大相撲ゆかりの地?

投げ込み寺こと浄閑寺

 そして橋の跡から川をたどって行くと、一つのお寺が現れる。浄土宗の浄閑寺だ。山号は榮法山で開基は1655年。1855年(安政2年)に発生した安政の大地震により吉原遊郭(新吉原)の遊女達が投げ込むように葬られたことから「投げ込み寺」の異名が付いた。

 以降もさまざまな理由で死亡した遊女は当寺に投げ込まれた。境内には当時の川柳作家花又花酔による「生きては苦界、死しては浄閑寺」と遊女の一生を詠んだ句とともに総霊塔が建立されている。

榮法山浄閑寺
榮法山浄閑寺

 吉原は男性には不夜城であり歓楽街であり社交場、女性にはファッションや流行の最先端を行く地であったが、多くの遊女には苦界と呼ばれ表裏の違いが最も著しい地であったことは間違いない。

首洗い井戸

 もう一つのスポットは境内にある「首洗い井戸」という物々しい名称の井戸だ。因幡国鳥取藩士であった平井権八は些細な遺恨から父の同僚である本庄助太夫を殺してしまい江戸に逃亡。

 本庄には二人の息子がおり、助七・助八兄弟は仇討ちを試みるが逆に返り討ちにあい、先に兄が斬られ兄の首をここで洗っていた弟も斬られてしまい、仇討ちは成就しなかったということだ。

 当時の仇討ちは願い出て許可を得れば合法で、武士は仇討ちのために数年の休暇が出た。しかし期限内に仇を探し出し討ち取らないと逆に咎めを受けたので仇討ちも命がけで、仇側も防御し返り討ちにするのは正当防衛なので殺人罪にはならなかった。

 いずれにせよ正々堂々とやるものなので、すなわち決闘という形式になる。明治になり法律「決闘罪に関する件」により決闘自体が禁止され、仇討ちや果し合いの習慣は消え去った。

 しかし法律自体は現在でも有効で、いわゆる1対1の喧嘩である「タイマン」行為が、明治の法律が適用され決闘罪として検挙される例がある。

 ちなみに相手を傷つければ文句なしでもっと重い傷害罪だが、決闘罪は行うのはもちろんだが、決闘を申し込んでも、応じても、立会をしたり立会を約束しただけでも、また決闘の場所を提供しても罰せられるので、良い子はかかわらないようにしたい。

 話は戻り、平井権八や本庄兄弟は歌舞伎でも取り上げられ、幡随院長兵衛とのやり取りは有名だが年代的に合致せず後年の創作である可能性がある。ちなみに当の平井権八は、数々の悪行を重ねた末に自首し鈴ヶ森の刑場に消えた。

周辺地図
周辺地図

 明治の文豪である永井荷風もこのお寺を懇意にしていて、筆塚とお寺で命日の4月30日には荷風忌が行われている。

 気になっていた大関横丁付近を散策したが、これほど多くの歴史や史跡があるとは思わず大きな発見があった。普段から知ってはいるが用がないので降りたことがない気になる停留所で途中下車して、散策をしてみてはいががだろうか。

 歩いただけで記事が書けるくらい歴史が詰まった一帯なので、テーマを絞れば夏休みの自由研究の題材になるかも?

【画像ギャラリー】都営バスの気になる停留所「大関横丁」を散策!(8枚)画像ギャラリー

最新号

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

バスマガジン Vol.126は9月20日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、東急バスを特集。東京都から神奈川県において都市部から住宅地、田園地帯まで広いエリアを綿密なネットワークを展開、さらに高速路線バスやエアポートリムジンも大活躍。地域住民の足としてはもちろん、首都圏の動脈ともいえる重要な存在だ。  続く特集は、ついに日本に上陸しさらに種子島での運行が決まった、ヒョンデの電気バス[ELEC CITY TOWN]の試乗インプレッション。日本におけるヒョンデの本拠地である横浜・みなとみらい地区で、徹底的にその性能を確認した。  バスの周辺パーツやシステムを紹介する[バス用品探訪]では、なんと排出ガスからほぼ煤が出なくなるというエンジンオイルを紹介。この画期的な商品「出光アッシュフリー」について、出光で話わ聞いてきた。  そして後半カラー特集では、本誌で毎号、その動向、性能を追跡取材してきた「カルサンe-JEST」。このトルコ製小型電気バスがついに、運行デビューを果たした。その地は長野県伊那市と栃木県那須塩原市。今後の活躍が期待される出発式を紹介する。