■いよいよ走り出す!
雪は深まるばかりなので待っていてはいつ動けるかわからない。戻れば山陽自動車道が部分開通している広島県や山口県まで国道2号が確定する。タイミングにもよるが途中で中国道が開通しても戻るのは困難だ。
さてどうするのか。現在のようにスマホやGPSがある時代ではないのでしばらく観察していた。西鉄は中国道沿いの一般道が走れることを確認したようで、高速道路に沿って西に走り出した。いつの間にか寝ていて通行止め区間を抜けたようで、気が付くと中国道を走っていた。とうの昔に福岡についていなければならない時間なのは言うまでもない。
■非常食が配られる!
当時の夜行高速バスには給湯設備が常識で、セルフサービスながらお茶、コーヒー、紅茶が自由に飲めた。すでにダイヤはぐちゃぐちゃなので、運転士・乗客の双方の疲労もあり、適時パーキングエリアに停車して休憩を挟む。
そうしているうちに2号車の運転士も手伝いながらトランクから非常食が降ろされ、乗務員が乗客に配り始めた。内容は缶入りの乾パンだが賞味期限が長く数年間はトランクに入れっぱなしでも大丈夫な乾パンは非常食の王者だ。
乗客はそれぞれのタイミングで乾パンをかじりながら、それでもPAやSAに停車しているので食べたいものや飲みたいものを購入して朝食兼昼食が始まる。
■新幹線振替の希望者はゼロ!
あまりの遅れに西鉄がとった措置は希望者の新幹線振り替えだった。小郡ICでは現在の新山口駅が近く、希望者には山陽新幹線で小倉駅または博多駅に向かってもらえるように指示が出たようだった。
乗務員が希望を聞いたところ全員がバスで構わないと振替希望者はゼロ。そのまま山陽自動車道・関門自動車道に向かって走り続けた。
東名阪のようなビジネス需要全開の区間ではなく、特殊な例なのかもしれないが全員が北九州市や福岡市までバスで向かった。重ねて言うが、現在では通行止めの区間がかなりの精度で予想され、遅れ時分が尋常でない場合は運休にするのが一般的なので、このような例に合う可能性は低い。
30年以上前の話を持ち出したのは、雪でなくても事故や他の自然災害で迂回や遅れが生ずることはあるので、実際はどうだったのかを体験を交えて紹介した。あくまでも当時の西鉄のこの便の対応だったにすぎず、それぞれの対応は事業者と時と場合によることはご承知いただきたい。
高速バスは少々のことがあっても臨機応変に現場の運転士と営業所とが連携して乗客を守り安全に運送することを旨として走っていることを知っていただければ幸いである。寒波の中で乗車する皆さまは大変だろうが、何があってもあわてず騒がず最善の選択をお取りいただきたい。
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