大月の桃太郎伝説は岡山よりも古くから語られていた!?
次に向かったのが「猿橋」である。最寄りの猿橋バス停は大月駅から浅川行・上和田行・小菅の湯行に乗車するが、運行本数も比較的多く便利だ。猿橋は岩国の錦帯橋、富山県黒部川の愛本(あいもと)橋と並ぶ日本三奇橋のひとつで、たくさんの猿が弓のように連なって対岸へ渡っていく姿をヒントにして作られたそうだ。
猿橋バス停を降りて猿橋に向かうと橋の手前に駐車場があり、その脇にある公衆トイレの裏手に猿の銅像がある。よく見るとこれまた左手に桃を持っており、これもまた桃太郎伝説の裏付けとなりそうなものだ。
猿橋宿と犬目宿に挟まれた鳥沢は、鳥沢宿があったところ。江戸時代の大火以降、道幅を広くとっていたおかげで国道開通後も建物が残った珍しい地域だ。どっしりとした街並みが往時の繁栄を偲ばせている。
犬目宿のあった「犬目」バス停は旧甲州街道に位置しており、ここを訪ねるには1日わずか2本のバスに乗らなければならない。よってここは日を改めて訪ねてみることにした。
旅の最後に大月駅前に店を構える古民家麺処「かつら」ののれんをくぐってみた。ここでは大月名物のおつけだんごが食べられる。旬の野菜と小麦粉のだんごを味噌で煮込んだだんご汁である。岡山の桃太郎伝説では、桃太郎は家来となった猿・雉・犬にきびだんごを与えているが、大月ではこのおつけだんごを与えている。
今回、富士急山梨バスの路線図を頼りに大月桃太郎伝説ゆかりのバス停を訪ねてみたが、桃太郎伝説を裏付ける十分な手掛かりを見つけることができた。時代背景を知るものとしては、1890(明治23)年に菱川春宣によって描かれた桃太郎の錦絵がある。この錦絵の背景には富士山が描かれており、大月桃太郎伝説を知る重要な参考品であり時代は明治だ。
岡山の桃太郎伝説が昭和に生まれたことを考えると、桃太郎伝説の発祥地は岡山でなく大月なのかもしれない。桃太郎が家来に与えたのはきびだんごであるが、いつかきびだんごからおつけだんごに変わる日が来るかもしれない。