現在は低床化・標準仕様化の流れから前中2扉車が中心となった関東バスであるが、平成初期までは3ドア車が中心の陣容で、ラッシュ時の輸送にその威力を発揮していた。
また、国内4メーカーからシャーシの供給を受けるも、路線バス用車両は一部を除いて富士重工ボディを架装し、統一感のとれた陣容も特徴の一つであった。
(記事の内容は、2022年1月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2022年1月発売《バスマガジンvol.111》『平成初期のバスを振り返る』より
■平成初期まで続いた3ドア車を中心とした特徴ある陣容
●日産ディーゼル U20H
この当時の関東バスの一般路線車は日産ディーゼル製が大半を占め、一時期は三菱・いすゞ製の在籍がない状態も存在した。
大型車はいずれも3ドア車で、混雑路線が多い武蔵野・青梅街道営業所を中心にホイールベース5m級の標準尺車が採用され、その他は同4.7m級の短尺車が中心であった。3ドア車は、前乗り・後降りを基本として、ターミナル駅などの終点では中ドアも開放し、全扉から降車扱いを行った。
狭隘路線が多い五日市街道営業所には前後ドアのショート大型車が在籍し、異彩を放っていた。ショート大型車は、一時期日産ディーゼルにはラインナップされておらず、日野製が導入されたが、のちに日産ディーゼルからRP系が発売されると、五日市街道営業所に集中投入された。
この頃はショート大型車という市場は限定的で、同系は全国でも少数派の形式であった。昭和末期からは日産ディーゼル製の中型車も導入されたが、この当時は限られた存在であった。また、1990(平成2)年に導入されたU-UA440HSN/LSNでは機械式オートマチック(E-MATIC)も導入された。
●日産ディーゼル K-U31L
3ドア中心の陣容に変化が訪れたのは1996(平成8)年で、低床化への対応から日産ディーゼル製ワンステップバスが導入されるも、3ドア仕様がラインナップされていなかったことから、前中4枚折戸として導入され、関東バスの伝統ともいえた3ドア車の時代がついに終わることとなった。
そして、いすゞ製一般路線車の導入により、一般路線バスにも国内4メーカーの車両が揃うこととなった。
高速・貸切車は三菱製を中心に、日野車も採用される。1988(昭和63)年に運行を開始した高速夜行バス「やまと」号用車両からカラフルな新塗装が導入され、のちに貸切車もこの塗装へ変更された。
現在はハイデッカー車のみとなっているが、この頃にはセレガGJやエアロクィーンKなど、訴求力の大きい車両も積極的に導入されていた。
関東バスが主力として採用してきた日産ディーゼル(UDトラックス)は、2011(平成23)年に国内向けバス事業から撤退、富士重工もそれに先立ち2003(平成15)年にはバス車体製造から撤退した。
現在は三菱製やJバス(日野・いすゞ)製のバスが増加しており、大きく印象が変わった。それでも米国・パシフィック電鉄のバスにヒントを得たと言われる赤色の鮮烈なカラーリングは今も健在である。
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