■バスと列車の共存共栄が人々の豊かさに結びつく
ひたちなか海浜鉄道で唯一駅員の常駐する那珂湊駅を訪ねてみた。駅舎は築100年を超え、往時の面影を色濃く残し、関東の駅百選にも認定されている。
駅舎に入ると何やら歌声が聞こえてきた。ギター片手に歌を披露していたのはおらが湊鐵道応援団の“みなと源太”氏である。ひたちなか海浜鉄道応援団の一員として湊線応援イメージソング「季節の風」を作詞作曲、週末を中心にライブを披露するなど湊線のイメージアップにご尽力されている。
那珂湊駅待合室でのライブは10年になるというが、日中は1時間に2本程度の列車しかないうえ、駅周辺には喫茶店もない。ひたちなか海浜鉄道利用者が退屈しないようにと駅コンを思いついたそうだ。
みなと源太氏は那珂湊駅で列車とバスの発着を見届けてきたが「同じ人を運ぶ乗り物でも、鉄道には鉄道の、バスにはバスの良さがある。その両方が共存共栄することが、人々の豊かさに結びつく。震災時に海浜鉄道が運行できなかった時は代替の交通手段としてバスには大変助けられました」と話す。
肝心の水門橋のレールについて、あの方なら知っているに違いないとご紹介頂いたのが、大洗で飲食店を経営している本多雅浩氏である。
食事処「ほんだ」のご主人である同氏は、鉄道、とくに水浜電車に造詣が深く、地元では有名な水浜電車研究の第一人者である。鉄道関係の膨大な資料の中から特別な箱に収められた茨城交通関係の写真や鉄道切符、バスの乗車券類を見せて頂いた。
水門橋のレールについては「レールは橋のつなぎ目にかかる部分に残されており当時の技術では短期間にこれを撤去するのは難しかったのではないか。廃線後すぐに道路として現状復旧しなければならないのでレールだけはやむなく残したのでなないか」とのこと。
確かにレールは橋の継ぎ目にくさびのような役割を果たしているようにも見え、これはかなり信憑性の高い話であった。
現在、大洗はガールズ&パンツァーの聖地として市町中にはそのポスターやグッズがあふれている。茨城交通では昨年3月1日から水浜線廃線50年を記念したガールズ&パンツァーのコラボ企画「フリーきっぷ&スタンプラリー」が行われた。水浜電車は50年の時を超え、形を変えて現在に蘇ったのである。
本多雅浩氏が最後に語ってくれたのは「水浜電車は今でも走っているんです」という言葉だった。今回、茨城交通の鉄道からバスへの転換期を探ってみたが、この言葉がいつまでも心に残る茨城交通探訪であった。
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