最近注目の最新メカの電気バスが90年前の日本で走っていたってマジ!?

■西高東低型で実用化していた!!

 そんな中島製作所SKSシリーズや神鋼製乗合電気自動車を含めた、80〜90年前の国産電気バス群。とりあえず試作だけして上手く行かないからフェードアウト……ではなく、ちゃんと実用化に成功した記録が残っている。

 最初に電気バスを走らせたのは名古屋市営バスらしい。1930年11月から1ヶ月、名古屋駅〜鶴舞公園間で実証実験を行ったのが始まりで、1933年1月から同じ区間の定期運行を電気バスが担うことになった。

神鋼電気バス 出典:自動車総覧2600(1940)
神鋼電気バス 出典:自動車総覧2600(1940)

 また、「青バス」と呼ばれた大阪乗合自動車でも、1937年2月に大阪駅〜堺筋〜難波間の、電気バスによる運行を開始。1937年8月には、大阪市営バスが天神橋六丁目〜梅田〜御堂筋〜難波間に電気バスを導入している。

 名古屋、大阪のほかにも、宇治山田、京都、小倉、台湾の台北などの一部バス路線に電気バスが使われたとされる。西に多く東に少ない(ほとんどない)、西高東低型の分布だ。ただし車両台数は合わせても100台あるかないかの少数派だった。

 バッテリーの充電には急速2時間・通常6時間かかるとあるが、着脱式の電池ユニットを使用しているのが特徴。専用設備を使い2〜5分でバッテリーの交換ができた。

 3時間ほど営業運転を行った後に基地へ戻り、バッテリーを取り替えて再度営業運転に入る……これを繰り返す流れが、電気バスを扱う事業者での共通した運用方法だったようだ。

■ガソリン車の“つなぎ”役に?

 電気自動車による路線バス運行は1930〜40年代にかけて続けられた。終戦を迎えた1945年以降、慢性的な燃料不足から、しばらくの間は全国各地で重宝され、車両の製造も行われた。

 しかし、石油系燃料の供給が安定してくると、次第にガソリンエンジンやディーゼルエンジンを搭載したバス車両が手広く活動するようになった。

 こうして電気バスは、内燃車と入れ替わるような形で一旦表舞台から姿を消し、実験的な性質を強く持った存在へと再び戻っていった。

【参考文献】
・「市営十年」 名古屋市電気局(1933)
・「電気協会雑誌」 日本電気協会(1936)
・「日本乗合自動車協会十年史」 日本乗合自動車協会(1937)
・「代用燃料車の総括的研究」 日本乗合自動車協会(1939)

【画像ギャラリー】日本が生んだ1930〜40年代の電気バス(5枚)画像ギャラリー

最新号

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

【9月20日発売】巻頭特集は「東急バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン126号!!

バスマガジン Vol.126は9月20日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、東急バスを特集。東京都から神奈川県において都市部から住宅地、田園地帯まで広いエリアを綿密なネットワークを展開、さらに高速路線バスやエアポートリムジンも大活躍。地域住民の足としてはもちろん、首都圏の動脈ともいえる重要な存在だ。  続く特集は、ついに日本に上陸しさらに種子島での運行が決まった、ヒョンデの電気バス[ELEC CITY TOWN]の試乗インプレッション。日本におけるヒョンデの本拠地である横浜・みなとみらい地区で、徹底的にその性能を確認した。  バスの周辺パーツやシステムを紹介する[バス用品探訪]では、なんと排出ガスからほぼ煤が出なくなるというエンジンオイルを紹介。この画期的な商品「出光アッシュフリー」について、出光で話わ聞いてきた。  そして後半カラー特集では、本誌で毎号、その動向、性能を追跡取材してきた「カルサンe-JEST」。このトルコ製小型電気バスがついに、運行デビューを果たした。その地は長野県伊那市と栃木県那須塩原市。今後の活躍が期待される出発式を紹介する。