その街の“顔”になり得る存在感を放つお城。土地勘のない観光客にも分かりやすいよう、アクセス方法がバスの場合、どこも最寄のバス停に「○○城前」のような名が付いているかと思いきや、意外とそうでもないらしい。新潟県の長岡城址ではどうなっているだろう?
文・写真(特記以外):中山修一
(長岡城址と周辺バス停の写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■250年続いた越後の城
現在の新潟県長岡市にあった長岡城は、江戸時代初期の1605年に築城が始まり、牧野忠成が同地を治めていた時代の1618年に完成後は牧野氏の居城になった。城内に天守はなく、三階建の櫓がシンボルだったと言われる。
その後、大火や自然災害の被害を幾度か受けながらも再建され、およそ250年にわたって続いた長岡城であったが、1868年に起こった戊辰戦争の際、城と城下が廃墟と化すほどの激戦が繰り広げられ、殆どが喪失してしまった。
戊辰戦争後に廃城となり、周辺の復興が始まった明治初期の時点で、城跡があった場所は完全に整地し直されたため、遺構と呼べるものは残っていない。現在は本丸と二の丸が建っていたことを示すモニュメントが、それぞれの跡地に置かれている。
■意外すぎた長岡城址の立地
お城の存在を偲ばせるものがモニュメントだけの現状ながらも、どの交通手段を使えば現地まで楽にアクセスできるのかと確認してみれば、長岡城のあった意外すぎる立地に驚いた。
なんとJR長岡駅前=長岡城址なのだそう。鉄道が敷かれ始めた明治時代には、市街地からかなり離れた場所に駅を作る(作らざるを得ない)のが普通だった印象を持つが、元・行政の中核に線路を通した事例というのも珍しい気がする。
JR長岡駅前には長岡城の本丸があった。ちょうど新幹線のホーム側、その呼び方が城下だったのを連想させる大手口を出て目の前。駅前バスターミナルとタクシー乗り場の間に石垣風の噴水があり、その脇に本丸跡を示すモニュメントが立っている。
■とりあえず「城前」ではなさそう
駅前徒歩すぐという好立地(?)ゆえ、バスでアクセスするとなれば、長岡駅前のバスターミナルが最寄ということになる。さすがに駅前のバスターミナルの名称が「○○城前」になるとは、まず考えられない。
とは言え、一応念の為バス停名称をチェックしてみると「長岡駅大手口」であった。JRの駅の出入口に合わせたネーミングと思われるが、ちょっとお城っぽい要素を含ませているところに注目したい。ちなみに線路を挟んで反対側の駅前バス停は「長岡駅東口」だ。
長岡駅大手口のバスターミナルは規模がそこそこ大きく、数本に分かれたプラットホームに、1〜13番線までの乗り場がある。越後交通が運行する、長岡周辺および柏崎方面への路線バスが主に発着している。
また、各方面への都市間高速バスが発着するバス停に「長岡駅大手口」と名の付くものがあるが、駅前ターミナル内ではなく周辺道路上に置かれている。
■もう一カ所の城跡
長岡城址には、本丸のほかにもう一カ所、二の丸があった場所を記念したモニュメントが立っている。こちらは複合交流施設の「アオーレ長岡」のすぐ近くで、本丸跡から200mほど離れている。
この近くのバス停はどうなっているかと歩いてみれば、前述の高速バス向けの「長岡駅大手口」バス停のほか、路線バスの停留所もある。路線バス用は現在のランドマークに合わせた「アオーレ長岡前」の名前が付いている。
このアオーレ長岡前の停留所、よくよくバス停標識に目を凝らすと、時刻表を掲示する箇所の少し上に「長岡城二之丸跡」と書かれた観光案内が添えてある。バス停名こそ「長岡城前」ではないにせよ、城跡の最寄であることを併記しているのが嬉しい。
長岡城址の場合、最寄の一般路線バス向け停留所は「長岡駅大手口」と「アオーレ長岡前」の2カ所で、「○○城前」と名のつくものは0カ所であった。次はどのお城(の、周りに置いてあるバス停)を見に行ってみるかな。
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