ここに1枚の写真がある。これは1962年、山梨交通電車線の最終日に乗り合わせた学生が車内風景を撮ったモノクロ写真である。
山梨交通鉄道線回想録にも掲載されたこの写真の注釈には「最終日と言っても、今のように一日中超満員ということもなかった。若そうな車掌さんの表情も、どこかうつろで、寂しそうに感じるのは、気のせいであろうか」と感想が述べられていた。
(記事の内容は、2021年3月現在のものです)
執筆・写真(特記以外)/諸井 泉
取材協力/山梨交通
参考文献/山梨交通60年史・山梨交通鉄道線回想録・電車線写真集
※2021年3月発売《バスマガジンvol.106》『あの頃のバスに会いに行く』より
■1962年に廃止された山梨交通電車線の元乗務員に会う
バスマガジンvol.104(2020年11月発売号)に掲載された、「ボロ電の残影を追う」の取材では山梨交通の雨宮正英社長に単独インタビューしているが、最後にもっとも気になっていたことを質問してみた。
回想録を恐る恐る取り出して「ここに写っている車掌さんをご存じないでしょうか?」。
この猪突な質問にしばらく写真を見ていた雨宮社長から、「この方は川崎さんではないでしょうか」とお名前が出てきた。
さらに総務部の方から川崎さんに連絡していただき、今もご健在であることも確認できた。写っていた車掌さんのお名前が川崎信幸さんと分かったことは大収穫だった。
こんなにもあっさりとお名前と連絡先が判明できたのは、電車線の廃線後はバスの車掌として乗務、その後本社のバス部門にて事務員として働いておられたためと思われる。取材にも応じて頂けるとのことで、後日教えて頂いた連絡先に電話した。
電話口に出られた川崎さんは「もうだいぶ前の話なのであまり記憶にありませんが……」と言いながらも、当時35歳以下の者はバス部門に配置転換となり、[電車線代行バス]の車掌としてバスに乗務に配置されたこと。当時のバス車掌の多くが女性であったため、男性は珍しがられたことなどのお話しが始まった。
「川崎さんからもっと記憶の糸をたぐり寄せたい」そう思うといたたまれず、川崎さんの住む南アルプス市へと向かった。
ご自宅では早速、山梨交通鉄道線回想録で掲載されていた写真をご覧頂きながら、当時の様子を伺うことに。しかし、電車線最終日のことは、
「寂しいなどという気持ちはなく、ただ頭が真っ白で最後に乗務したときのことはあまり覚えていません」
とのことであった。しかし、[電車線代行バス]の車掌で乗務した日々のことは覚えているそうで、
「それはバス路線の道路が電車線の脇を通っているところもあり、線路がところどころ見えた」
とのこと。やがて月日が経つと線路が草で覆われ、次第に線路が見えなくなり、廃線を実感するにつれ寂しい気持ちが込み上げてきたという。
■電車からバスへの転換期に守り継がれた[開発]という言葉
電車線については朝夕のラッシュ時にはよく乗客が乗ったそうで、1両単編成の車両はすし詰め状態で、乗務員室まで乗客が押し寄せてきた。そんな時は車外の連結器に立って、列車にしがみついて運行したこともあったという。
車内がどんなに混んでいる時でも、ホーム上に積み残しをせずに運行したことを、今でも誇りに思っているそうで、そこには年間数百万人という乗客を運び、市民生活を支えているという使命感があった。
そして人々から親しまれることを肌で感じることで、郷土愛も生まれていたのである。電車部門の従業員の多くがバス部門に配置転換となっているが、こうした電車線で培われたDNAがバス部門へと受け継がれた。
山梨交通では電車線の廃止後はバス路線の拡充が図られていく。路線網は甲府市内から山間の集落や盆地集落へと伸びていった。
また、甲府駅~広河原間登山バスの季節運行が開始され、高速バスの礎ともいえる長距離路線が相次いで開業した。さらに貸し切りバス事業も拡充されるなど、川崎さんは本社のバス部門で安全管理に携わりながら、その発展の歴史を見てきたのである。
電車線廃止後に電車線に携わった従業員に配られた、卒業アルバムのように編集された写真集を見せて頂いたが、最後のページには別れの会で撮られた集合写真と、当時の斎藤孝平取締役電車部長の言葉が記されていたので、ここで紹介したい。
『時の流れの前に永年愛された電車も廃止のやむなきに至った。しかし、私は廃止とは消滅ではなく即開発であると信じて疑いはない。諸君と共に強く明るく再出発を期したい』
この最後の言葉の中で山梨交通の前身となる[山梨開発協会]の社名にも、「開発」という文字が入っているのを思い出した。
この[開発]というワードは、山梨開発協会設立の趣旨の中でも使われており、このパイオニア精神は電車線からバスへの転換期でも守り継がれていたことになる。心にしみる思いがした。
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