現在も何かしらの遺構が残り、なおかつ見学ができる日本の城は200カ所くらい。そこへのアクセスに路線バスを使う場所も数多い中、最寄バス停の名前が「○○城前」なのか、ちょいと気になり現地の様子を見に行くシリーズ。今回は長崎県の島原城とその周辺をそぞろ歩き。
文・写真:中山修一
(島原城周辺バス停事情の写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebでご覧ください)
■島原の街を見守る名城
九州の長崎県・島原半島にそびえる雲仙岳の麓、島原市の南東寄り、有明海に面した島原の街を今日も見守るシンボリックな建物が島原城だ。
この島原城は、松倉重政によって築城を命ぜられ、1618年から7年ほどかけて完成したと言われる。その後250年・4氏19代に渡って繁栄が続き、文明開花まで生き残った他の城と同様、明治時代の1873年に廃城した。
当時の廃城令によれば、例外こそあるものの陸軍用地に転用された城は残され、それ以外は民間に払い下げられて、天守を含めた城の設備は原則解体の運命を辿っている。
島原城は民間へ払い下げられたため、石垣とお堀を除く設備のほとんどが撤去されている。その後1964年に天守が鉄筋コンクリート造りで復元され、白壁に5層の精悍なシルエットが往時の風格を今に伝えている。
■アクセス至便な立地ゆえに
さて、そんな島原城をとりまく現代の公共交通機関事情はどうなっているか。島原城は島原の街の中心部に位置しているため、その地の交通拠点から歩いて行ける城の一つに数えられる。
この場合、島原鉄道の島原駅が最寄相当で、バスもまた駅前から各地へ発着しており、言わずもがなバス停名称は「島原駅前」だ。
最寄が駅前ということで、ここもまた「○○城前」を名乗るバス停が1つもない城な気がしなくもないが、せっかく現地まで来たので周辺を歩いてみることにした。
■城に一番近いバス停の名は?
城の敷地のすぐ近く、南東寄りに市役所が建っている。城跡のそばに行政機関が並ぶのは、全国的に見られる定番の配置と言えそう。
市役所となればバス停の一つくらい置かれていて、さらに城の最寄バス停の役割も兼任できそうな距離感だ。
市役所の前に行ってみると確かにバス停があった。待合ベンチに瓦屋根風の意匠を施した上屋が覆っている、いかにも城を連想させる見た目の凝った停留所だ。
それでも名前は「市役所前かな?」と予想しつつバス停標識に目をやると、この停留所を通る島鉄バスとコミュニティバスとでバス停名称が少し異なっていた。
島鉄バスは「大手」、コミュニティバスのほうは「大手(市役所前)」だった。島原城が行政の中心だった時代、近くに大手門があったことから、この名前が付いているらしい。城関連といえば城関連なので、方向性は「○○城前」に近いかも。
■もうないと思うけど
大手バス停の周りには「築城400年」を記念したノボリやパネルが掲げられていて、ここが島原城へのポータル停留所になっている雰囲気がものすごく出ている。
最も目立つ停留所が「○○城前」でなければ脈はなさそう。とはいえ一応念のため、他のバス停もチェックしに周辺をうろつく。島原城には、お堀を取り囲むようにして道が通っている。
ところが四辺の道には、バス通りが北側にしかないと思われバス停も1箇所のみ。立地的には城の敷地の前に置かれていたが、名称のほうは「文化会館」だった。城の敷地内に建っている島原市文化会館の最寄バス停に相当するため、この名前が付いているらしい。
バス停名は、例えばランドマークになりうる史跡と、現在も実用で使われている施設が同じ場所にあった場合、どちらかと言えば後者が命名元に採用される傾向が強い気がする。
それ以外は1〜3ブロック離れた大通りにしかバス停がないようで、城に割と近そうな場所を軽く確認してみたところ、「浦ノ川」と「宮ノ丁」が該当。おおかた予想通り「○○城前」とは無関係のネーミングになっていた。
後日やるWebのマップを使った答え合わせを含めて、島原城の周辺に「○○城前」を名乗るバス停は1カ所もない、という結論に落ち着いた。どこにでもありそうで意外と少ない難物、それが「○○城前」バス停なのだ。
しかしバス停はともあれ島原城、静かにジックリ見て回れて、いいとこだったな〜。街の特に高い場所に天守が建っていて、そこから眺める景色は爽快。現地へ訪れたら立ち寄らない手はないステキな観光スポットに思えた。
【これまでに見に行った城】
松前城、松本城、皇居(江戸城)、広島城、今治城、姫路城、名古屋城、和歌山城、館山城、水戸城、長岡城、徳島城、小倉城、島原城
※ほぼ訪問順
【「○○城前」のバス停がある城】
今治城、和歌山城、小倉城
【全国の「○○城前」率】
暫定3/14箇所 21.4%
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