ふと古いネガが見つかってスキャンをしていたら、これまた懐かしい写真が出てきた。羽田空港周辺で撮影をしたと思われるもので、京急バスを中心に、様々な路線バスが収められていた。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWebギャラリー内に、当時羽田空港で撮ったバス写真があります)
■このバス写真、いつ撮ったんだっけ?
相変わらず、いつ撮影をしたのか、もう分からなくなってしまった写真ばかりで、ちゃんと記録をしておけば良かったと今さらながら後悔をしているのだが、今回掘り出した写真に関しては、日付までほぼ特定ができることに気が付いた。
この日、私は日差しが強く暑い中、まだ沖合へ移転したばかりの羽田空港周辺で、空港へ出入りする路線バスの写真を道路上から撮影していた。
羽田空港国内線ターミナルが現在の場所へ移ったのは1993年のこと。ここでまず、この写真が1993年以降のものであることは間違いないと判別できる。
■周辺の様子から年代を予想
当時の羽田空港は、国内線ターミナルが現在の位置へ移り、中華航空(現チャイナエアライン)が使用していた国際線ターミナルだけは元の位置に残っており、この国際線ターミナルは1998年に暫定ターミナルへ移動するまでこの位置にあった。
これらの写真の中に、この旧国際線ターミナルを出入りするバスが写っており、これで1998年より以前に撮影されたもの、ということまでは分かった。つまり1993~1998年の間の撮影、というところまで絞られる。
ちなみに、国内線ターミナルが現在の位置へ移った後、国内線ターミナル行きの路線バスの行き先表示は「羽田空港」で変化は無かったが、元の位置から動かなかった国際線ターミナルは明確に区別する必要があるため、「国際線ビル」行きという表示に改められた。
■あんまり経験したくない“アレ”が決め手に
そして、これが撮影日時特定の決め手となった。なんとこの日、警察官から職務質問を受けたことを思い出したのだ!!
夏の日差しを受けてへとへとになりながら、一眼レフカメラを手に歩道で路線バスを待ち構えていると、向こうから警察官が歩いてきた。
はて何だろう?と思いつつも、自分には関係ないことだろうと思い、そのままカメラを構えていたら、「すみません、ちょっと良いですか?」と声を掛けられた。
私か!? 初めての職務質問にドキドキしていると、「何を撮影しているのですか?」と尋ねられる。「…え、ああバスです。バスが好きなので…」あれ?撮影しちゃまずかったのだろうか…?
と思っていたら「ああ、そうですか。お気を付けて」と制止されることもなく、特にお咎めなさそう。「…あの、ここで撮影しちゃまずいですか…?」心配だったので聞いてみた。
すると「大丈夫ですよ。ちょっと警備をしていて、念のための確認ですから」という返事。まあ普通に考えてみたら、道路へ向かってカメラを構えていれば不審に思われても仕方がないか。
■こうして日付まで大体わかった
しかし周囲をよくよく見れば、他にも警察官の姿が見えるではないか。もう気になって仕方がなかったので、思い切って「誰かここを通るのですか?」と聞いたら「村山首相ですよ。サミットからの帰国です」。
……そう、当時の村山富市首相は、首相就任直後に開催された先進7か国首脳会議(G7)に出席するため、イタリアのナポリを訪れていた。
現地で体調不良に見舞われるなど心配なニュースが飛び交っていたが、その帰国の日にちょうど当たってしまったのだ。
首脳会議は1994年7月8日から10日に掛けて開催され、その翌日に帰国した。ということであれば、この写真が「1994年7月11日」に撮影されたものだと特定できる、というわけだ。
それにしても1994年というと、今から実に31年前。まだ阪神大震災も地下鉄サリン事件も発生していない時代だ。
写っているバス車両を見れば、三菱ふそうのブルドッグに富士重工5Eボディ、初代エアロバス…なるほど、時の流れを感じざるを得なかった。
【画像ギャラリー】1994年7月11日に羽田空港で記録した路線バス(6枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方