今でこそ、地方の路線バスでローザやハイエースが走ることも珍しくないし、いわゆるコミュニティバスでも、日野 ポンチョが主力とはいえ、ローザやハイエースなどを使用しているところも多い。
こうした「ミニバス」と呼ばれた小型バスを路線バスとして使用するさきがけは、1970年代に遡る。いくつかの前向きな事業者が取り組んだが、そのまま現在に続いたわけではないのは、時代的に“早すぎた”のかもしれない。
(記事の内容は、2026年3月現在のものです)
執筆・写真/鈴木文彦(交通ジャーナリスト)
※2026年3月発売《バスマガジンvol.132》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■小型路線バスの先駆けとなった都営ミニバス
【写真1】は東京都交通局が1974年に開業した「ミニバス」である。
都心部の官庁街での道路混雑緩和と、いわゆる“省エネ”に向け、自家用車(公用車)からバスへの移行を促そうとしたもので、東京駅丸の内北口と新橋駅の間を、霞が関、日比谷地区を経由してシャトル運行した。
車両はトヨタ自動車からマイクロバス-コースターの無償提供を受け、前頭部に行先表示が装着された。
【写真2】は1980年に再びトヨタから提供されたハイルーフのコースターに代替した都営ミニバスの2代目車両である。
このとき、のちに一般路線車に拡大して話題をまいた黄色に臙脂色の塗装が採用された。キメ細かく高頻度という鳴り物入りではあったが、渋滞で定時運行ができなかったせいか予想に反して利用は少なく、フリー降車制を採用するなどしたが、1983年に廃止されている。
■路線バスとしての積極的な活用
1980年代に入るころから、ミニバスを積極的に導入する事業者が現れた。
【写真3】は弘南バスが1980年に、道路が狭隘な弘前市の新興住宅団地と市街地を結ぶ路線として運行したミニバスで、「バンビ号」と名付けられ、定員17名の三菱ローザといすゞジャーニーが投入された。
【写真4】のようにリヤオーバーハングにもドアを設置したマイクロバスでは珍しい2扉車だった。
いすゞのフロントエンジン小型バスに、北村製作所が角形ボディを架装したDBR370(のちに改良でMR112D)があった。
このタイプを積極的に採用し、1980年代に過疎地域の支線バスや都市部の狭隘路線に導入したのは奈良交通であるが、同時期に市街地の狭隘路をよりこまめに循環させるべく、DBRを導入したのは庄内交通だった(【写真5】)。
鶴岡市内線「タウンタウン号」と名付けて運行したが、一部を1983年に日産 キャラバンに置き換え、「ミニタウン号」として運行した(【写真6】)。
昭和自動車は1982年、不採算の過疎路線を維持するため、15人乗りのトヨタ ハイエースを路線仕様に改造して定員10人とし(このためナンバーは3に)、3台を佐賀県伊万里市と多久市の路線に投入した(【写真7】)。
両社とも、当時ほぼ事例のなかったワゴンタイプの小型車を、行先表示や運賃箱を装備した路線バス仕様に改造したまさに意欲作だったが、小回りが利く一方、ある程度利用者が集中すると乗り切れないケースも生じた。


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