時代とともに衰退
鉄冷えと呼ばれた不況に伴う工業地帯の縮小や移転で、人口流出もとまらず徐々に衰退することになった北九州市だが、国鉄がJRになると本社は福岡市へ移転し、西鉄北九州線(路面電車)と支線は廃止された。北方線だけはモノレールが代替したので形を変えて生き残ったが、それ以上浮揚することはなかった。
北九州市の交通は昔はパイ(π)型交通と呼ばれ、小倉と黒崎を結ぶ鹿児島本線を軸として、小倉から南に延びるモノレール、そして黒崎から南に延びる「つもりだった」モノレール、うまくすれば小倉と黒崎もモノレールで結びたいという思惑もあったようだが、もろくも崩れた。
新北九州空港が開港し、新幹線の全列車が小倉に停車しているのが救いだろうか。
支え合うことができないまま高齢化社会へ
工場労働者が減り、テーマパークやIT地区やさまざまな業種の誘致を行なったが、どれも周回遅れのまま高齢化社会を迎えた。そうしている間に交通機関が「昔と比較して」不便になり、市民は車がなければ生活に支障をきたすと認識するようになった。
こうなると他の地方都市や過疎地と同様に、公共交通機関を利用するのは高齢者と学生と昼間だけ働くサラリーマンという図式になり、もはや回復が困難な状況に陥っている。
未来を見据えて見える活動に期待!
それでも西鉄がバス路線を維持しているので、他の地方都市よりもそれほど不便ではないにしろ、行政がコミュニティバスを運行することはせず西鉄バス北九州が補助金で運行している路線もある。それすらも維持できず最近では北九西鉄タクシーに移管して運行を続けている路線すらある。
西鉄はグループとして鉄道もバスもタクシーも持っているので、八方ふさがりで手詰まりということにはならない分だけマシなのかもしれないが、行政も丸投げではなく、企業も現状対応のみでは先はないだろう。
北九州市が抱える歴史的に特異な事情だからこそ見えてくるものもあるのだろう。観光資源もあり自然豊かで美味しいものもたくさんある北九州市。せっかくの取り組みなので、これを機に市民に見える形での活動に期待したい。
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