世情が不安定だと何かにすがりたくなるのは古今東西変わらないようだ。みんな大好きパワースポット巡りは、お守りや御朱印集めからスタートするのもいいだろう。パワーを必要とする皆様のために、路線バスで行くパワースポットをバスマガジンWEBのオリジナル連載で紹介する。
文/写真:東出真
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
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■今回のパワスポは津観音
雑誌やSNS界隈で有名だからと言ってそれが万人にパワースポットかどうかはわからない。自分のパワースポットは自分で探すしかない。果てしない旅のようだが、きっと「感じる」ものがあるはずだ。それが見つかれば同じ神様を主祭神とする最寄りの神社や、同じ仏様を本尊とする寺院を訪ねるのもいい方法といえる。
バスマガジンWEBオリジナル「【バスに乗ってパワースポットへ】あなたのパワースポットを見つけよう!」今回のパワースポットは、三重県の「津観音」だ。
■日本三大観音のひとつ
三重県津市にある恵日山 観音寺大宝院、津観音と通称される。津市の人口は四日市市に次いで県内2位で面積は1位だ。なんといっても有名なのは津という読みの短さだろう。日本でここだけという仮名1文字の自治体なので、地理の授業では覚えやすかったのではないだろうか。
そんな津市の中心部にあるのが、今回紹介する「津観音」である。正式には恵日山 観音寺大宝院(えにちざんかんのんじだいほういん)といい、宗派は真言宗醍醐派の別格本山である。創建709年と伝わる歴史ある寺院で、地元の人からは「観音さん」の愛称で古くから親しまれている。
阿漕ヶ浦の漁夫の網にかかった聖観音立像(御本尊)をお祀りして開山したと言われており、東京の「浅草観音」、愛知の「大須観音」と並び日本三観音の一つに数えられている。
かつては阿漕ヶ浦にあったが明応七年(1498年)に津を襲った大地震と津波により海に沈んだという。その後の再建にともない、津観音は現在の大門町に移った。さらに慶長五年(1600年)には関ケ原の前哨戦において西軍による津城攻めで建物が焼失してしまった。江戸時代に入ると津に入り城下町を築き上げた藤堂高虎により二度目の大きな再建を見た。
■津観音の魅力
筆者が訪れた日は参道に続く道を行き交う人も少なく、静かな雰囲気に包まれていた。現在の国道23号線「京口立町」バス停を降りて東を見ると幅の広い歩道が見えてくる。これが大門商店街である。以前は大きなアーケードが通りを覆っていたが老朽化などの理由により2016年から撤去が始まり、今の姿になった。
途中からは伊勢街道と同じ道となり津観音に曲がる交差点には道標が立っていた。そこには「右さんぐうみち 左こうのあみだ」と書かれており、確かにここが伊勢街道であることが実感できる。境内に入ると広い敷地と多くのハトが出迎えてくれた。
この正面にあるのが本堂、そして左側に建つのが五重塔である。かつては観音堂を中心として塔頭7寺をかまえた大きな寺院であったが、藤堂高虎が再建したこの津観音は昭和20年の空襲により多数の寺宝(国宝含む)や塔頭7寺を含む41棟の大伽藍が一夜にして焼失と、何度も建物を失う波乱の歴史を辿ってきた。
現在の観音堂は昭和43年(1968年)に再建されたものである。 ちなみにこの津の城下町を築き上げた藤堂高虎はこの津観音に立ち寄るようにわざと街道を整備し、江戸時代の伊勢参りの際にはここに寄るのが定番となりそれが津を訪れる魅力の1つになったという。
その魅力となったのが御本尊である「聖観音菩薩」の他に本堂に置かれている「国府 阿弥陀如来」である。天照大神(アマテラスオオカミ)の御本地仏と書かれているが、当時仏教の教えでは天照大神は阿弥陀如来の仮の姿とされておりそのような場所を外して伊勢に行くわけにはいかない、ここは立ち寄らねばということになったそうだ。
そのようなことから「阿弥陀に詣らねば片参宮」と言われ、ご利益が半減するとされていた。通常は非公開だが、毎月18日の縁日と正月三が日の期間などには特別にお姿を拝むことができるので御開帳日を選びたい。
そして境内で目を引くのが本殿隣にそびえる五重塔である。鮮やかな朱色に輝く五重塔は2001年に仏法興隆と世界平和を祈願して建立されたもので、三重県下初の純木造五重塔となっている。高さは21m、伝統技法で組み立てられ奈良県の法隆寺五重塔と同様の造りをしているという。
その内部には極彩色の柱が並び、柱絵や扉絵を見ることができる。また薬師如来像や大日如来像が祀られている。ちなみにこの五重塔は一見すると六重に見えるのだが一番下の屋根は裳階(もこし)といい、初重(第一重)の軒下に設けられた庇であるため五重塔という呼び名でいいそうだ。
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