■震える声で念願の初挨拶
ホテルを出て左折確認。深呼吸ひとつ。(2年越しのデビューだ!)マイクを握る手は汗ばみ、心臓の鼓動は早い。それでも「今日がようやく来た」という実感は、緊張よりもむしろ背中を押してくれるようだった。本来であれば「初めての仕事で…」という言葉は避けるべきだ。
お客様にとってガイドが新人かベテランかは関係ないのだ。つつがなくガイドをするのが第一の使命だからだ。しかし、コロナ禍で「やりたかった行事を失った子どもたち」と、「デビューの機会を失った私」は、同じ時代を生きていたに等しいので重ねるなという方が無理な注文だった。だからこそ、この日だけは素直に言葉を紡いだ。
「車内の皆さま、改めておはようございます。本日は記念すべき私の初めてのガイドのお仕事です。至らぬ点もありますが、どうぞよろしくお願いいたします」今の私なら絶対に言わない。けれど、あの日の状況だからこそ許された、等身大のデビュー挨拶だったと今でも信じている。
■渋滞との戦い後は必死すぎて内容は覚えていない
バスは浦安ランプから湾岸線へ入る。辰巳JCT付近までびっしり渋滞し、有明あたりからようやく動き始めた。新人の私は「話せることは全部話そう!」という意気込みで必死だ。しかし、話しすぎて後が続かなくなると困るため、景色を拾いながらひねり出すように話題を探し続けた。
正直に言えば、何を話したのか本稿を執筆するにあたり必死に思い出そうとしたのだが、あまり覚えていない。緊張と必死さで記憶が抜け落ちているのだ。それでも、山下公園の駐車場に到着した際に先生から「こんな素敵なタイミングでご一緒できて、本当に良かったです。またお仕事でお会いできる日を楽しみにしていますね」との言葉をいただいた。
その言葉が胸に沁みて、やっと緊張がほぐれたような気がした。そして時は流れて数年後に、現在フリーで活躍する同期が偶然その学校と再会し、当時の写真を受け取って送ってくれた。写真を見た瞬間、胸が張り裂けるほど嬉しかった。同期の話は、稿を改めて紹介したい。
■デビュー戦を終えて
振り返れば、初めてのガイドはもう滅茶苦茶だったと思う。それでも無事やり切れたのは、台数口でご一緒した以前に紹介した3人目の指導ガイドさんが、チーフとして支えてくださったおかげだ。仕事が終わるとすぐに「デビューおめでとう!」と声をかけてくださり、お疲れ様会まで開いてくれた。
高揚感でしばらく眠れないほど、忘れられない一日だった。当時はまだコロナ禍の影響で休業も挟みつつの勤務だったのだが、5月以降に訪れる怒涛のハイシーズンを、この時の私はまだ知らないのだった。次回は初めての本格的なハイシーズンに突入した筆者が、目の当たりにした現実とその心情を当時を振り返りながらレポートする。
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