1980年にタイムトリップ!! それは中小私鉄の直営バス部門が終焉を迎える時だった

1980年にタイムトリップ!! それは中小私鉄の直営バス部門が終焉を迎える時だった

 1970年代前半ぐらいまで、日本には数多くのローカル私鉄が存在した。

 事業体は小さくとも、産業鉄道として機能していたことなどから、戦時統合を経たのちも単独で存続したケースが多かった。そしてその多くが、周囲に発達する他事業者から鉄道を擁護し培養効果も求めてバスを兼営した。

 しかし、小規模ながら運営を続けたそれら鉄道直営の乗合バスは、よき時代を過ぎた1980年代以降、順次姿を消していった。

(記事の内容は、2024年9月現在のものです)
写真・執筆/交通ジャーナリスト 鈴木文彦
※2024年9月発売《バスマガジンvol.126》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より

■ローカル鉄道のバス部門が撤収へ

赤城山麓を走る上毛電気鉄道最後の路線―新里駅~大久保間。最後まで路線バスには冷房車がなかった(1995年)
赤城山麓を走る上毛電気鉄道最後の路線―新里駅~大久保間。最後まで路線バスには冷房車がなかった(1995年)

 現在でも大手事業者の間で小規模な鉄道とともに乗合バスを運営する私鉄も、三岐鉄道などいくつかある。また鉄道は廃止となったが、バス専業として事業を続けているケースも、鞆鉄道、船木鉄道などいくつか事例が見られる。

 しかしローカル私鉄が運営するバス事業の多くは、事業体が小さく独自の経営改革が難しかったことなどから、1980~2000年代に鉄道廃止とともに、または鉄道の後を追って撤退、鉄道が存続した事業者でもバス事業からは撤退するケースが相次いだ。

 上の写真は1995年3月、上毛電気鉄道のバスのラストラン風景である。

 上毛電気鉄道は、今も中央前橋~西桐生間で鉄道を運営するが、1930年にバス事業の兼営を開始し、戦後は沿線の前橋市から桐生市にかけての赤城山麓に路線網を広げた。

 しかしマイカーの普及により経営が悪化、1970年代半ばに桐生方面から撤退し、前橋市周辺のみで営業を続けた。

 一時はボンネットバスを復元して営業運行するなど話題をまいたが、順次路線を廃止し、最後に残った新里駅~大久保間の廃止とともに貸切バスを含むバス事業から全面撤退した。路線バスは日本中央バスが引き継いでいる。

 同様に、鉄道は存続したがその周辺を運行していた路線バス事業からは撤退したケースが、岳南鉄道や大井川鉄道などに見られる。

 岳南鉄道は1956年に富士山麓電鉄(現富士急行)の傘下となり、1966年に富士市・富士宮市周辺で乗合バスを開始したが、グループの効率化の中で1998年に貸切バスとともに事業を富士急グループに移管している。

 大井川鉄道(現大井川鐵道)は、現在も単独で鉄道から分岐する路線と貸切バスを系列の大鉄アドバンスが運営しているが、もともとは金谷町、島田市、掛川市などを中心に一般路線バスを運行、一時は井川~静岡間や静岡~浜松間の長距離バスなども運行した。

 しかし1980年代には状況が悪化、1988年に掛川地区を静鉄グループの掛川バスサービスに譲渡して撤退、その後2004年までに一部を残して一般路線を撤収した。

■鉄道廃止後の小規模バス事業からの撤退

美鉄バスに社名が変わった直後の三菱鉱業セメント時代の車両。呉羽の三菱観光タイプが主体で神戸電鉄の旧カラーに酷似(1983年)
美鉄バスに社名が変わった直後の三菱鉱業セメント時代の車両。呉羽の三菱観光タイプが主体で神戸電鉄の旧カラーに酷似(1983年)

 鉄道が先に廃止となり、残ったバス部門が細々と継続したものの、モータリゼーションや過疎化の中で撤退に至った事例も多い。

 2002年に事業を廃止した北海道の美鉄バスは、もともと1972年まで運炭鉄道として運営していた美唄鉄道のバス部門であった。

 一時は大夕張、札幌へも路線を延ばし、三菱鉱業、三菱鉱業セメントと社名を変えつつ1981年にバス部門は美鉄バスとして分社されたが、1985年に網走交通傘下となって東急グループとなったのち順次縮小し、最後に残った美唄地区から2002年に撤退した。

 新潟県五泉~加茂間で鉄道を経営した蒲原鉄道は、戦後沿線でバスの兼営を開始したが、1985年に村松~加茂間、1999年に五泉~村松間と鉄道を廃止、バスも2002年に1994年開業の新潟への高速バスを残して一般路線からは撤退した。

 その高速バスも2024年に泉観光バスに移管し、蒲原鉄道のバスは全面撤退となった。一般路線撤退後、受託路線のみ子会社の蒲鉄小型バスが継承したが、これもすでに撤退している。

 ニッケル鉱輸送を目的に京都府の丹後山田(現与謝野)~加悦間の鉄道を運営した加悦鉄道も、加悦から宮津に至る路線バスを運行していた。

 1985年に鉄道が廃止されると社名はカヤ興産となり、1999年にバス部門は加悦フェローラインとなる。貸切中心で路線バスは細々と続いたが、2009年には路線を全線廃止している。

 陰陽連絡をめざして三田尻(現防府)から堀まで鉄道を開業した防石鉄道は、沿線のバスを買収してバス事業を兼営、沿線から山口に至る路線を運行した。1951年には防長交通の傘下となり、1964年に鉄道を廃止したのちも防石鉄道の名でバスを続けたが、1992年に補助制度の関係もあって防長交通に統合された。

 比較的新しい鉄道全廃のケースである和歌山県の野上電気鉄道は、1994年の鉄道廃止と同時に自主廃業によってバスも廃止となった。沿線から和歌山市までの路線をもったが、貸切バスは1975年に野鉄観光として分離していたので別途存続、路線は大十(現大十バス)に引き継がれた。

【画像ギャラリー】懐かしい田園風景を私鉄運営のローカルバスが走る!! ゆっくりと終焉を迎えつつある時代の一枚(9枚)画像ギャラリー

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