新潟県下越地方に広く路線網を展開するほか、県内外にも高速バス路線を伸ばす、日本有数の規模を誇るバス事業者である新潟交通。現在は新潟交通、新潟交通佐渡、新潟交通観光バスの3社で域内の路線バス運行を担う。
平成初期は、バブル崩壊と乗客逸走傾向により分社化、車両仕様の見直し、鉄道路線の廃止とまさに揺籃の時代であった。
それでも管内津々浦々に拠点が置かれ、地元新潟の北村製作所製のバスが多く走り、県内主要都市に向けた高速バス・急行バスも多く運行されるなど地元の足を支えた。
執筆/写真:石鎚 翼
分社化を進める一方で車両のデラックス化やバスカードの導入も推進
昭和も終盤の1986(昭和61)年、新潟交通は貸切バス部門を新交貸切バスに、佐渡島内の代替路線と貸切バスを新交佐渡貸切バスに分社化した。
1993(平成5)年にはこれをさらに深度化し、新潟交通本体のバス事業は新潟市とその周囲(及び翌年まで佐渡島内の一部)に限り、その他の地域を新交北貸切バス、新交西貸切バスと、既存の新交貸切バス、新潟交通佐渡(新交佐渡貸切バスを改称)に分社化、効率化を進めた。
なお、その後各社の改称などを経て、現在の3社体制に再整理されるのは2007(平成19)年のことであった。
一方で1990(平成2)年にはバスの塗装を変更、車体上半分を赤色に塗装し、イメージを一新した。
また、車両面における最大の特徴は地元の車体メーカーである北村製作所製の車体を積極的に採用していたことで、平成初期は旧タイプの丸型ボディに加え、全国でも新潟交通(100台)と頚城自動車(1台)の2社にしか導入実績のない、スケルトンスタイルの路線バス用ボディも活躍していた。これは後年「なまず」と呼ばれ、全国のファンにもよく知られる存在となった。
新潟交通のバスロケーションサービスの導入は全国的にも早く、1984(昭和59)年の西小針線(新潟~内野)であったが、それを機に導入されたスケルトンバスの新車「銀太郎」(三菱K-MP118N)も特注フェイスによる目立つ存在であった。
新潟市周辺の幹線系統では、各メーカーの最大サイズの長尺車が投入されていたが、1990年からは赤塗装導入と同時に、座席もハイバックシートが採用され、居住性の向上も図られた。
一方、1991(平成3)年には、バスカードが導入された。これには普通カードと、データイム及び土休日に利用可能な「買物カード」が用意され、特に買物カードは、たとえば3000円券なら当初、4200円まで使用が可能で破格の特典付与率であった(のち25%まで低減された)。
このバスカード導入に伴い、市内線の乗車方法が前乗りから郊外線と共通の後乗りに変更された。なお、現在はJR東日本のSuicaとも共通利用できるICカードシステム、「りゅーと」が導入されたことから廃止されている。