北村ボディ「なまず」も多くが分社子会社へ転籍し、活躍
新潟市を除く周辺地域の分社子会社は新潟交通から承継した車両のほか、中古車両の導入や、新潟交通本体で置き換えられた車両を導入するなどして車両の調達コストを圧縮するとともに、遅れていた冷房化も推進された。
また、分社子会社の自社導入車両は赤塗装が基本的に採用されず、一部ではオリジナル塗装も導入された。前述の北村ボディの「なまず」も新潟交通で置き換えられたのち、多くが分社子会社へ転籍し、2011(平成23)年まで、約四半世紀にわたって活躍をつづけた。
高速バス路線開設は1978(昭和53年)、関越自動車道の一部開通に伴う新潟・長岡線運行開始と歴史は古く、昭和末期からの全国的な高速バスブームの時期にも積極的に展開し、主力の東京(池袋)線に加え、大阪線、金沢線、仙台線、横浜線など多くの路線が平成初期までに開設された。
ところで、通勤・通学利用も多い県内高速バスと、会津若松線には一般路線用とは別のシステムとして「高速バスカード」が1993年に導入された。高速バス路線専用カードという特異な存在であったが2019(平成31)年を以て発売を中止し、ICカードシステムに一本化された。
平成初期の新潟交通は事業者の組織、車両、乗車システムなど、多くの面で様々な変革の時期であった。現在も路線バス事業の苦境が解消されたとはいいがたいが、BRT路線「萬代橋ライン」の開設をはじめ、現在も路線バス輸送の革新が続けられているのは頼もしい限りといえよう。