【特集・平成初期のバス 第5回】 低床化や冷房化をリードした北の事業者 北海道 旭川電気軌道 編


 最北の中核市、旭川に拠点を置く旭川電気軌道は、かつて旭川市内で軌道事業(1973年全廃)を営んでおり、現在も社名にその名残がある。

 厳しい気象条件の地域ながら、早期にノンステップバスの普及を図るなど、意欲的な取り組みも多く見られる。

 今回は、冷房化の推進や低床化を急速に進めていた頃の旭川電気軌道の様子を紹介しよう。

執筆/写真:石鎚 翼(バスマガジンvol.100より)

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一般路線バスのブラッシュアップに傾注しサービス改善を進めた平成初期

三菱U-MP747M
普及モデル発売と共に本格導入が開始されたノンステップバスで、専用カラーで導入された。当時の民間事業者としては先進的な取り組みであった。旭川電気軌道は、現在も道北随一のノンステップ車両普及率を誇る

平成初期のバス事業は、全国的に昭和後期から続いた輸送人員の低下傾向に歯止めがかからず、2005年ころまで長期低落傾向が続いた。

 そのため、多くの事業者で路線廃止に加え、分社化等の経営合理化策が進められる一方、急成長を遂げていた高速バス事業への積極的な進出が見られた。

 しかし、旭川電気軌道のこの時代の事業展開は、これらの趨勢とは対照的な部分が見られる。

 全国でブームとなった高速バス事業への進出は行われず(後年、2018年になって北都交通と共同で運行を開始)、ノンステップバスの導入や、首都圏からの中古車による冷房化の急速な推進、連節バスによる通学路線の輸送力強化、クレジットカードを利用したバス乗車システムの導入など、一般路線バスのブラッシュアップに経営資源を傾注した。

三菱 U-MP618P
エアサス・長尺に三菱自動車製ボディを採用したエアロスターで、旭川電気軌道の主力であった型式。ごく一部新呉羽自工製ボディを架装した自社発注車も在籍した。画像は1995(平成7)年式のエアサス車

 道内でも、多くの事業者が高速バス路線を次々に開設する中、独特な経営スタイルであったと言えよう。ただし、1999年には春光営業所管内の一般路線と貸切バスの一部を「あさでん」として分社化した。

 なお、これはその後2007年には再び合併し、一社体制に戻っている。

 車両は現在国内4メーカーが在籍するが、平成初期はいすゞを除く3社から導入しており、一般路線バスは良好な道路事情を反映して長尺車が好んで採用された。

平成初期になると首都圏から冷房付きの車両導入を開始

 冷涼な気候を反映して、1985年まで一般路線バス車両は非冷房車が導入されていたが、冷房化を急速に推進するため、平成初期は首都圏からの中古バスが採用された。特に長尺冷房車の在籍が多かった神奈川中央交通からは多くが転入した。

 その一方、1997年には、ようやく初めて市販モデルレベルとなった三菱エアロスター・ノンステップバスの導入を開始した。

日野U-HU2MPAA
こちらは日野ブルーリボンのエアサス・長尺車。この頃の一般路線バス用車両はいすゞを除く国内3メーカーから導入され、いずれも長尺が選定された。また、中折戸、腰部方向幕といった仕様も共通である

 過去、ノンステップバスは公営事業者や一部の大都市圏事業者が試験的あるいは特殊用途に導入するケースが中心で、民間事業者の本格導入に先鞭をつける形であった。塗装も斬新なものが採用され注目を集めた。

 さらに、1999年には、東京空港交通から中古連節バスを購入して、高校生の利用が多い通学路線に投入した。これはつくば万博輸送用に導入されたのち、東京空港交通が箱崎(TCAT)~成田空港路線で使用していたもので、大きな輸送力が活用された。

  このように旭川電気軌道の平成初期は、車両面においても特徴的な取り組みが見られ、冷房化や低床化といった、旅客サービスレベルが格段に向上した時期でもあった。

 その後、厳しい事業環境は変わらず、近年は人手不足によって減便を強いられるなど、困難な状況が続いているが、最北の中核市の交通を担う事業者としてさらなる飛躍を期待したい。

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