【特集・バスのちょこっとヒストリア】 横浜市営バス 市電から市バスへの転換期を探る 

激動の時代を乗り越えてきた横浜市電と横浜市営バス

1947年6月、米軍払い下げの軍用車「ダッジブラザース」が見事にバスに変身/写真提供:横浜市交通局
1947年6月、米軍払い下げの軍用車「ダッジブラザース」が見事にバスに変身/写真提供:横浜市交通局

 「のりあい自動車 よこはま市バス60年」には、横浜市営バスの歴史が詳しく紹介されている。市営バスは1928年11月10日、A型フォード14人乗り30台で営業運転を開始。当初は7路線、営業キロ30・2㎞でスタートした市営バスだが、10年後の1938年7月には80・1㎞へと開業時の2・7倍に延び、車両数も137台に増えていた。

 また1866年に開設され1942年まで開催された根岸競馬場は、春と秋の競馬開催期間中には桜木町駅から根岸競馬場への観客輸送という特需に沸き、1936年と1937年には、その期間中の運賃収入が1年の輸送全体収入の実に3分の1を占める程にもなったそうだ。

 バスの路線網も市内から市域に拡大し、業績も順調に伸ばしてきたかに見えた市営バスだが、1923年に発生した関東大震災や1945年の横浜大空襲によって壊滅的打撃を受けている。

 この大被害からいかにすばやく復旧させるかが公共交通機関に与えられた使命だが、市電の復旧には莫大な資金と年数がかかるため、それに代わる交通機関として投資が少なくて済むバスが見直され、震災を契機に急速に拡大していった。

 戦時中とその前後の石油燃料欠乏期には石油燃料に代わる木炭を利用した代燃バスを運行、戦後の車両不足の時期には米軍払い下げのトラックを改造したバスを走らせるなど激動の時代を歩んできた。

 昭和30年代の高度経済成長の時代に入ると車社会が到来、市内の道路ではあちこちで大渋滞が発生するようになり、1972年3月31日をもってトロリーバスとともに市電が姿を消すと、その代替え交通として市バスが一気に主役の場に躍り出て現在に至っている。

88年間、ここでバスあゆみを見てきた「たまくすの木」

横浜開港記念館の中庭に立つ横浜市のシンボル「たまくすの木」
横浜開港記念館の中庭に立つ横浜市のシンボル「たまくすの木」

 横浜市営バス26系統沿いの横浜港大桟橋入口交差点の近くに、横浜開港資料館がある。ここにを入るとすぐの中庭には、大きなくすの木がある。木の根元には「ペリー提督横浜上陸図」の絵の複製が石碑の上に展示されているが、1854年の日米和親条約の締結は、このたまくすの木の近くで行われたといわれている。

 よく見るとペリー提督と護衛する軍隊の隊列が、上陸している右端に巨木が描かれていのがわかる。実はこの木、現在の横浜開港資料館にあるたまくすの木であるといわれている。絵に描かれた木と開港資料館の枝分かれした木を比較すると、描かれた木は幹が太い巨木であるのに対し、中庭にある木は幹がいくつも枝分かれしており、ふたつが同じ木であるとは考えにくい。

 これは慶応の大火災と関東大震災によって2度消失していたものが、そのたびに燃えなかった根から新しい芽が出て現在の姿になったためのようだ。横浜市営バスとこのたまくすの木を結びつけるのは少し無理がありそうだが、両者には震災による壊滅から立ち直り乗り越えてきたという点では共通点がある。

 たまくすの木はいま、横浜の歴史を見つめてきた生き証人として今では横浜のシンボルの木となっている。

【画像ギャラリー 】昭和の目まぐるしい変遷の中を駆け抜けて現在をもたらした市バス

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