■安全車体と京成ボディ
安全車体も1956年に安全自動車芝浦工場が独立してバスボディを手掛け、ボンネットバスやキャブオーバーの時代に独特の直線的なデザインを見せた。
特に安全自動車との資本関係などにより、福島電気鉄道や松本電気鉄道などでは安全車体のバスが多く、ボンネットバスベースの検診車や警察車両などにもみられた。1964年に川崎航空機と資本・技術提携を行い、まもなくバスボディは川崎に集約したため、その後は特装車のメーカーとなった。
京成電鉄傘下の京成自動車工業は戦後から、主として京成グループ向けにボディを製造、フレーム付リヤエンジンバスでは豊富なノウハウを持った。
1961年に西日本車体工業と技術提携を行い、1963年ごろまでは独自のスタイルだったが、その後は西工とスタイルが酷似し、いわゆる“カマボコ”スタイルにおいては図面を共用し、ほぼ同じ外観となった(当初窓下のRがないものも存在)。
西工のノックダウン製造も行っている。フレームレス化にともなうメーカーの系列化が進む中で、京成としてもグループ内で製造するメリットが少なくなり、1973年でバスボディ製造は中止、以後は特装車に架装するメーカーとなった。
【画像ギャラリー】フレームレス化で消えていったローカルボディ……多様なボディデザインが見られた1960~1970年代(7枚)画像ギャラリー
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