交通ジャーナリストである筆者の鈴木文彦氏が、約50年に及ぶ取材活動の中で撮影してきたアーカイブ写真。ここから見えてくる日本のバス史を紐解くこの企画。今回は方向幕が時代を感じさせてくれる時期をご紹介する。
近年の側面方向幕(幕という言い方がいつまで通用するだろうか)は、側窓の一部を活用して設置したタイプがほとんどである。
側面の行先をロールした幕で表示する手法は1950年代中頃から見られるが、この時期からスタンディーウインド(いわゆるバス窓のHゴム固定窓)に収めるケースも出ているものの、多くは屋根の縁辺部(雨樋より上)すなわち幕板部に装着する方が一般的だった。
窓に収める形に完全に移行するのはスケルトンボディが主流となった1980年代である。
(記事の内容は、2023年5月現在のものです)
文・写真/交通ジャーナリスト 鈴木文彦
※2023年5月発売《バスマガジンvol.119》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■中扉車の扉上部設置が発祥
側面の行先表示は、戦前や終戦直後の写真を見るとほとんど付いていないので、おおむね1950年ごろから一般化したものと考えられる。当初はほとんど側板(腰板部)にサボを挿す形だった。
そのスタイルを1980年ごろまで踏襲した事業者もあったが、1955年ごろを境に幕式が主流に変わって行く。そして早くからHゴム固定窓の中に収めるタイプも出てきたが、多くを占めたのは、当時一般的だった中扉ツーマン車の扉上部に設置するタイプだった。
【写真1】は静岡鉄道の中扉ツーマン車だが、このように中扉の真上に設置したケースがほとんどで、この位置になったのは車内からの車掌の操作のしやすさという面もあったのではないかと思われる。
この方向幕位置について、腰板のサボだと混雑時に見えないという理由を述べる事業者もあったが、逆に高すぎて見上げてもよく見えないという声もあったようだ。
東京都交通局などでは特注でドア部分の雨樋を下げて方向幕位置を若干低くしている。もっとも当時は側方向幕も行先だけを表記するケースが多く、あまりサービス上の好ましい位置が検討された様子はない。
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