太平洋に面した宮古市。県庁所在地の盛岡とも離れているこの地から、ある日東京直行バスが運行された。町を挙げての大歓迎!! そして町そのものも思わぬ脚光を浴びる兆しが見えてきた瞬間だった。
●BEAM-1
運行会社:岩手県北自動車(県北バス)
相手会社:京浜急行電鉄(京急)
乗車撮影:1989年7月8日(運行初日と翌日)
(記事の内容は、2023年9月現在のものです)
執筆・写真/石川正臣
※2023年9月発売《バスマガジンvol.121》『思い出の長距離バス』より
■路線名は本州で一番早く朝陽が昇る地点に由来
岩手県北自動車(県北バス)が東京への夜行便を開業する話しが出たとき、始発がリアス式海岸沿いの宮古発という、交通が不便な土地に発展的貢献がもたらされる、と大いに関心が持たれた。
1989年7月8日に開業する運びとなったが、相手会社である京浜急行電鉄(京急)は、この同時期に7月1日の東京発のラフォーレ号青森行き、そして7月14日には徳島行きエディ号と今治行きパイレーツ号が続いて開業という大忙しの時期だった。
その間にこの宮古行きBEAM-1が開業したため、さぞかし大変だったことだろうと推察できる。2週間で夜行4路線が運行を始めるという開業ラッシュは、運行を支える現場サイドでは相当多忙な毎日を送っていただろう。
バスの名前となった「BEAM-1」とは、本州では朝陽が最も早く昇るところから由来している。
使用車両は両社共通の日野ブルーリボン、車体色も共通で、陽が昇るイメージを象徴するデザインとされたが、車両は代替えされても県北バスの車体デザインは変わらなかった。
■初運行時にはセレモニーの中、宮古の人々に送り出された!!
開業当日の地元・岩手県の宮古では、起点である浄土ヶ浜パークホテルにおいての、地方都市の元気さが手に取るように伺える開業セレモニーが行なわれた。大勢の関係者集まり、花束贈呈からテープカット、そしてその時代らしさを感じさせてくれる万歳三唱(!)と続き、東京直結のうれしさが伝わってくる。
そして出発。続くメインの乗り場であるともいえる宮古駅では、今か今かと待っていた乗客たちが次々と乗車し、すぐに満席となった。そしてBEAM-1は国道106号線を内陸へ向けて出発、東北自動車道に入り、東京を目指した。
深夜のサービスエリアで休憩。初便は週末とあって、となりあう東京行き夜行各路線も2台での運行であった。東京が近くなると夜も明けてきて、最後の休憩になる時刻には周囲は明るくなっていた。
首都高速を降りて浜松町バスターミナルに到着。ここでほとんどの乗客が降車し、続く品川バスターミナルでは、ほかの路線の車両に見守られながら到着。またひとつ新路線ができたことを実感して、初便は終着となった。
その後もこのBEAM-1は、2社による宣伝効果なのか、運行状況は連日盛況だった。実に30年以上走り続けているのは素晴らしい実績だ。
県北バスの次なる代替車両は日野セレガ、その次も日野セレガR、そのまた次はジェイバスではなく、なんと三菱ふそうエアロエースだった。県北バスが日野以外のメーカーを導入したためのものだったようだ。
その後営業範囲は広がり、盛岡営業所にも停車することになり、盛岡市民にも親しまれるようになった。
会社組織の変更で数多くの夜行便が走り出し、BEAM-1は静かに消えて行った。
30年以上続いた山吹のデザインとBEAM-1の名称は現在のみちのり夜行便の源として貢献したと言ってもいいだろう。
【画像ギャラリー】本州で一番早く朝陽が昇る地から一夜で東京直行!! 30年以上走り続けた長距離バス「BEAM-1」(10枚)画像ギャラリー
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