1985年2月28日、上野駅から常磐線の普通列車に乗って牛久駅に降り立った。この日のことを今でもよく覚えている。小雪交じりの雨の中、寒さに震えながら待機していた関鉄バスに乗り込むと程なくバスは出発した。
この日バスに乗り込んでいたのはスーパーシャトルの運営管理者一行で、1泊2日の日程で現地研修を行うためである。
(記事の内容は、2021年5月現在のものです)
執筆・写真(特記以外)/諸井泉(元シャトルバス中央事業所第6グループ運営管理者)
※2021年5月発売《バスマガジンvol.107》『日本を走った初めての連節バス』より
■一同唖然! 案内された駅舎は耐久年数半年!?
牛久駅を発車したバスが国道6号線をしばらく走ると、真新しいテント張のカラフルな大きな駅舎が見えてきた。「この駅の建物は完成したばかりですが、耐久年数は半年と短く簡素なつくりとなっておりまして……」。
ガイドさんの説明に車内はざわつきそして凍り付いた。「ここで半年間働くのか」と思うと不安がよぎった。
この駅の名前は万博中央駅である。つくば万博会場と常磐線の万博中央駅(臨時駅)を結ぶ連節バスが日本で初めて導入され、駅の西口にバスターミナルと事務所棟、東口にシャトルバス中央事業所の管理棟と運転者宿泊棟、連節バス駐車スペースさらに車両整備工場が建設されていた。
スーパーシャトルは各バス事業者から人材を派遣することによって運営されていたが、関東エリア31のバス事業者を10グループに分け、各バス事業者から選任された運営管理者54名が研修に参加していた。
2日間と短期間なこともあり、かなりハードな研修スケジュールが組まれていた。
1日目の机上教育では、手始めに連節バスの輸送管理体制、博覧会協会と各バス会社の契約内容を確認。
さらにシャトルバスの運営組織、職名別の業務内容、運行ダイヤ・運行経路、ターミナルの利用(発着管理システムの概要)、異常時対策、遺失物取り扱い、身体障害者対応、交通規制、連節バスの構造装置、法定点検、修理依頼票の記入方法などぎっしり学び、さらにバスを使っての運行前点検の実技見学等が行われた。
2日目には東口車庫や富士重工自動車整備工場、給油所、洗車所の見学、さらに西口バスターミナルや運行ルート、北ゲートの見学が行われた。
■連節バス最優先の運行システムによって研修は2日間
運転者教育では運営管理者同様、関東エリア31のバス事業者を10のグループに分け、各グループから約40名の運転者が選任されていた。
さらに各グループからは2名の教官運転者が選抜され、教官運転者教育が実施された。
学科と実技の2本立てで2日間にわたって実施されたが、初日の午前中は連節バスの構造・機能及び運転特性、それに法規(茨城県警担当)などを学び、午後は構内で車庫入れやコーナリング走行、バック時における運転操作などについて教習を受けた。
2日目は万博中央駅〜会場北ゲート間のコースで実技指導(各自2~4往復)が実施されたが、学科・実技の講師には富士重工業の技術員5名が担当した。
31社から選ばれた運転者は、運転技術のみならず接客応対などにも優れた人が多かったようだ。
運転者に運転操作についての感想を聞いてみると、車両に癖がないので非常に運転しやすく、全長が18mあるにもかかわらず走行フィーリングは国産大型車(12m)と変わらず、コーナリング走行も後輪も操舵するため2軸の大型車並みで、連節バスを運転しているという違和感はなかったという。
ここで改めて受講者別教育実施計画を見てみると、注目すべきは教官運転者及び運転者の教習期間がわずか2日間だったことだ。筆者は東京BRTの運行に際してその訓練に密着取材をしているが、机上教育や実車走行、習熟運転日数を含めると17日間に及んでいたことを考えるとあまりにも短い。
いくらベテラン運転者といえども連節バスの運転は初めてな者ばかりだ。
にもかかわらず短期間の研修でも可能としていたのは、運行ルートはバス専用レーンが設けられていたこと、途中にバス停がなく、車内での運賃収受が不要であったことが大きい。
ほかにも、途中の交差点の信号機にはセンサーが取り付けられ、連節バスが近づくと青信号となりほぼノンストップで万博中央駅と万博会場(北ゲート)を運行できたことなど、連節バス最優先の運行システムによって運転しやすかったことなどがあげられる。
いずれにせよ科学万博開幕までの短期間に急ピッチで運転者教育が実施され、開幕後は実車運行を積み上げながら練度を高めていたことは注目すべきであろう。
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