かつては鉄道や多くのホテルも所有する青森県南の総合リゾート企業だった十和田観光電鉄の平成初期

かつては鉄道や多くのホテルも所有する青森県南の総合リゾート企業だった十和田観光電鉄の平成初期

 十和田観光電鉄は、青森県上北地方を中心に鉄道・バス・観光船・ホテルなど交通・レジャー産業を中心に多角経営を行う事業者であった。

 しかし平成後期には経営の悪化から鉄道路線の廃止をはじめ、ホテル事業や小売り事業からの撤退が続いた。

 2008(平成20)年には親会社である国際興業の支援のもと、会社を清算し新法人へ移行した。今回は鉄道も健在であったころの同社のバスたちを紹介しよう。

(記事の内容は、2024年9月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2024年9月発売《バスマガジンvol.126》『平成初期のバスを振り返る』より

■トップドア車を中心に導入し、赤を基調とした自社カラーも多かった平成初期

いすゞ BU10。自社発注、前後ドアの大型一般路線車で、中折戸仕様。側面方向幕は中扉上の幕板部に設置されているが、前乗り・前降りで使用されていた
いすゞ BU10。自社発注、前後ドアの大型一般路線車で、中折戸仕様。側面方向幕は中扉上の幕板部に設置されているが、前乗り・前降りで使用されていた

 十和田観光電鉄は本社を青森県十和田市におき、八戸、三沢、野辺地、青森のほか、岩手県軽米町にも拠点を持つ。主力一般路線は十和田市から八戸、青森、野辺地などを結ぶ長距離路線で、地域内路線は減少傾向が続く。

 かつて都市間系統には特急や急行を名乗るバスも多く運行されていた。バスは十和田観光電鉄の略称として「とうてつ(とおてつ)バス」と呼ばれて親しまれている。現在は国際興業の東北地域統括会社として設立された国際東北の傘下で、株式の100%を同社が保有する完全子会社となっている。

 1989(平成元)年には、八戸自動車道の開通もあって、八戸~東京間(のち十和田市まで延伸)高速バス「シリウス」の運行を開始し、夜行高速バス事業にも進出した。

 高速バス事業は東北新幹線の延伸開業による再編や、東日本大震災、コロナウィルス感染拡大によって休止などが強いられたものの、現在もバス事業の核の一つとなっている。

いすゞ K-CJA520。エアサス・大型方向幕となった自社発注一般路線車。運行エリアが冷涼な気候であることから80年代前半まで非冷房で導入された
いすゞ K-CJA520。エアサス・大型方向幕となった自社発注一般路線車。運行エリアが冷涼な気候であることから80年代前半まで非冷房で導入された

 車両は親会社で、いすゞ販売会社を傘下に持つ国際興業との関係もあり、長らくいすゞ車を中心とした陣容が続いている。前述のように長距離路線が多かったことから、貸切から転用されたトップドア車が目立ち、市内路線用など2ドア仕様の車両も前乗り・前降り方式を採用し、中ドアは締切としていた。

 一般路線車も1982(昭和57)年からはトップドアで導入され、中ドアが廃止された。なお、その後はバリアフリー対策の一環で、自社発注車も中ドアが復活することとなる。

 国際興業グループ各社からの転入車両も多く、一般路線車のほか貸切車でも多く見られた。当時、塗装は一般路線向けが自社オリジナルデザイン、高速・貸切バスが国際興業グループの貸切標準塗装を採用していた。

 しかし平成中ごろからはコストダウンの目的もあって緑を基調とした国際興業の一般路線車標準塗装がそのまま使用されるようになり、自社デザイン車は次第に減少していった。

 最近は国際興業グループ以外の事業者からの中古車導入も盛んにおこなわれ、いすゞ製以外に三菱製や日野製なども見られるようになっている。一方、2012(平成24)年に廃止された鉄道路線は、東急電鉄からの転入車が長らく活躍していた。

 今では会社の姿や事業内容だけでなく、塗装も車両仕様もすっかり様変わりしたが、トップドア車、モノコック車が走り、鉄道路線も健在だった頃の同社を紹介する。

【画像ギャラリー】トップドア車、モノコック車が走り、鉄道路線も健在だった平成初期の十和田観光電鉄(10枚)画像ギャラリー

最新号

【3月22日発売】巻頭特集は「相鉄バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン128号!!

【3月22日発売】巻頭特集は「相鉄バス」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン128号!!

バスマガジン Vol.128は3月22日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、相鉄バスを特集。神奈川県の中心部・横浜から県央部のエリアで、鉄道・相鉄線とともに綿密なネットワークを展開する事業者だ。