8月3日、広島県広島市にある広島駅に路面電車の新駅が開業した。以前より建設が行われていてとても大きな話題となった。新しく生まれ変わった姿を筆者も見てきたので直接バスとは関係ないがその様子について、最終日である開業前日と初日である開業当日の様子を2回に分けてお届けする。本稿は開業前日の最終日の模様だ。
文/写真:東出真
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
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■広島駅再開発の経緯
広島駅は中国地方最大の都市である広島市に構えるターミナル駅で山陽新幹線をはじめ、在来線は広島シティネットワークの中核をなす駅である。そして2014年9月に広島市が策定した「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」に基づき、広島市とJR西日本、広島電鉄の3社により再開発が進められてきた。
長らく広島駅の顔として出迎えてくれた駅ビルが2020年3月末に営業を終了すると、解体工事が始まり以前の姿から一変する。巨大な建造物が組み立てられ、先行して駅橋上の設備と自由通路、新幹線側には新たな商業施設が開業するなど新しい広島駅へと変貌した。
そして今年春には新駅ビル「minamoa」が開業し、駅舎としては4代目となる広島駅が誕生した。ただ同時に開業予定だった路面電車部については、少し遅れた2025年8月開業になった。
■廃止ルートの歴史
筆者は開業前日の8月2日に広島に到着して撮影した。路面電車のルートが変わるということは、それまでのルートが最終日当日限りで廃止となるということで、その様子も見た。今回開業する「駅前大橋ルート」により、これまで使用されてきた広島駅電停と、次の猿猴橋町電停が廃止になる。
朝から沿線各地には多くの鉄道ファンや風景を撮影に来る人、地元の住民も集まるなど1日混雑した。猿猴橋町電停の近くには、その名の通り猿猴橋架かっており、日夜路面電車が行き交うが、その光景も見納だ。現在のコンクリート橋になったのは1926年(大正15年)のことで高欄、照明灯、親柱装飾金具は青銅製、様式は当時の広島県物産陳列館(原爆ドーム)と同じセセッション式を採用した。
原子爆弾投下により一度は失った姿は2016年(平成28年)に大正時代の姿に復元されている。路面電車が廃止となった後は工事の後に道路橋として整備されるので、渋滞解消が期待されている。
現在の風景から路面電車が消えるのは想像できないが、それもそのはずで電停が開業したのは1912年(大正元年)のこと。最初に広島駅~紙屋町までヶ開通した時に同時に開業した生き証人なのである。道路上にホームのある併用軌道なので、駅舎はないがホームの表示や行き交う路面電車を撮影しようと歩道には多くの鉄道ファンがシャッターを切っていた。
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